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世論の構築もなされず、あれよあれよという間に採決されてしまった。ただし、この法律では付則の第2条で、施行後3年を目途として検討を加えることをうたっている。したがって、3年の間で臓器移植に関する世論の動向によって、大幅な修正が加えられる可能性があることを私たちは、銘記しておかなければならない。 これからでも遅くはない。仏教の立場から、多くの意見を出していくべきである。 |
「脳死による臓器移植は、
本当に人道的な医療か?」
臓器移植 |
本当に人道的医療なのか? |
信頼できる人工臓器の開発を望む
臓器提供者のことを医学用語でドナーと言います。そして、提供を受ける患者をレシピエントと言います。今回の参議院での修正案は、脳死判定の条件の厳しいことから、これではドナーが本当に現れるかどうか疑問との声がでてきています。私は、「ドナー」という言葉が嫌いです。臓器提供者の体を、「ドナー」という言葉を使用することにより、もの扱いにしているように聞こえてくるからです。この言葉は、医師の立場からは、必要な事かもしれませんが、私たちは安易に使用すべきではないような気がしています。 私には、脳死による臓器移植が人道的な医療であるとは思えません。ただ、現在では、その医療により人が救われることも事実です。臓器移植を認めるためには、少なくとも、医療者と国会が、脳死による臓器移植は、信頼できる人工臓器の開発までの過渡的な医療であるという姿勢を持つことが必要だと思います。 脳死による臓器移植の医療は、ひとの死によって成り立つ医療です。患者も医師も、人の死を期待し、できるだけ新鮮な臓器の出現を待たなければならないのです。それが、精神的に、人間としての正常なあり方であるとは思えません。人工臓器の
開発を急ぎ、臓器移植のための「脳死はひとの死」とする論議が医療の発展過程の過渡的なできごととしてあったのだと話せる時が、早くきてほしいと思います。
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