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 『少年法』の改正論議について
 1、『少年法』
 神戸の少年が引き起こした連続殺傷事件を契機に、『少年法』が世間の注目を集め、改正論議が起こっています。マスコミでは、こんな重大な犯罪を犯したのにかかわらず『少年法』ではこの程度の罰しか与えられない、というように人々の報復感情を煽るような報道がなされています。 『少年法』という法律は、犯罪少年に対する懲罰が最終の目的ではなく、少年の保護や福祉や教育を目的としています。この法律には、少年は人間的に未熟であり、重大な犯罪を犯した少年でも環境や教育によって劇的に更生させることが可能である(少年は可塑性に富む)との思想により成り立っています。懲罰という側面から見れば、非常に生ぬるい法律です。しかし、教育の面から見れば素晴らしい思想を持った法律です。

 
 2、高度な政治的判断は浄土真宗的?
 そのような論議の中で、ロッキード事件の汚職高官であった佐藤孝行氏の総務庁長官就任にまつわる騒ぎがありました。もし、永田町独特の「高度な政治的判断」がくだされていたとしたら、犯罪を犯しても、刑期や執行猶予が満了したり罰金を払えば悪いことをしても許されることになってしまいます。少年たちにとって悪い影響を与えることは目に見えています。刑期を満了することにより罪が消えるという考え方は、犯罪や非行に対する深い反省とは結びつきにくいのです。いま、私たちが悩みながら取り組んでいる、少年犯罪の低年齢化への対策とは、まったく逆行する姿を国自身が示すことになってしまうところだったのです。 浄土真宗の教えの大きな柱の一つに悪人正機の教えがあります。佐藤さんのように国法を犯したひとであっても再び活躍の場を与えてあげるのが、浄土真宗的対応ではないかとの意見を聞きました。たしかに、妙好人の中にも、社会的な罪を重ねてきたひとが、阿弥陀さまのみ教えにあって深く帰依し、素晴らしい念仏者になられた方がいます。 ただし、そこには宗教的回心がありました。罪に気づき、阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に身をゆだねた のです。罪は本人にとりまして消えたのではありません。むしろ、より明確になっているのです。阿弥陀さまの前で救いようのない我が身が剥き出しになるのです。悪人正機の教えは、前に犯した罪が帳消しになるというような都合のいい話とはちがいます。

 3、悪人正機的側面を持つ『少年法』

 『少年法』はその悪人正機的側面をもっているとも言えると思います。少年はだれもが失敗しながら成長していきます。しかし、『少年法』では非行を犯した少年のみが対象となります。家族にかわって少年をおとなに成長させる手助けをするのです。そこでは、本人が自分の犯した行為をシッカリと認識し反省させることからはじまります。罪の軽重よりも本人の更生の可能性が少年院送致等の判断の基準となります。ですから、非行の軽重と少年審判の軽重は必ずしも比例しません。そして、本人の更生が順調に行われるために秘密を厳守します。教育だけでなく少年の保護もするのです。阿弥陀さまの働きのミニチュア版ともいえます。ただし、人間が裁き、人間が運用し、人間社会がそれを受け入れてゆくのですから、そこにはおのずと限界があることも確かです。 『少年法』の改正論議はまだ続くと思います。人間が運用しているのですから完璧とはいきません。山形マット殺人事件のように事実認定の不備が明らかになった事件もあります。また『少年法』では被害者に対する補償はなにもうたわれていません。ただ、少年の犯罪が重大事件であればあるほど、少年をそのよう にさせてしまった環境を分析して二度と同じような事件を起こさせない社会をおとながつくっていかなければならないと思います。『少年法』の目的を正しく理解し、非行少年をより多く更生させることができる改正を目指すべきだと思います。 (小林泰善)

   少年法を知るためのおすすめの一冊
  『少年犯罪と少年法』後藤弘子編・明石書店

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