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「X−japan hideの葬儀」私的ドキュメント


 去る5月6〜7日、X−japan hideの葬儀が築地本願寺で執り行われた。

 ニュース等でその模様は繰り返し報道されたが、ポストエイオス会員にとっても無関心ではいられない事態となった。会員の立場から私的なドキュメントとして報告したい。

 ゴールデンウィークの半ばの2日(土)hideは自殺した。そして、葬儀は築地本願寺で行われるとの報道。ここまではほとんど無関心。だいたいhideがいかなる人物かも分からない。
 しかし、3連休の中での報道の状況から、皆の心に不安がよぎる。さては、勝新太郎氏の葬儀の二の舞ではないかと。(日蓮宗の葬儀だった) 
 6日午後その不安を察知した一会員からメーリングリストへの第一報(以降メーリングリストの文章は《 》でくくる)


 《7日に築地別院にて執り行われる元Xジャパンのhideの葬儀、ワイドショーなどで注目を集めています。我々僧侶は勝新太郎さんの一件がありますので不安半分で遠巻きに見る心境であることと思います。(実は私のこと)
 確認しましたところ、教区内寺院(南組)の門徒扱いとのこと、とりあえずご安心を。(TK)》
即反応が来る。

 《昨夜(5日)は築地本願寺で中組の組会(総会にあたる)でした。驚きました。
 何しろ、6時にすでに100人の群集で、組会のあと食事して帰るころにも150人くらいいましたか。TVの人たちも、煽り立てていたし、「地べたーズ」の女の子達は寒い中パンツ丸見えで座っているし、むしろ悲しんでいるよりか これからコンサートへ行くように感じたのは私だけでしょうか。このご縁を通して、いのちのはかなさを今一度 全国の若者たちに問い掛けていただきたいのですが、美化しすぎると追いかけ自殺を引き起こさせる危険性も多々あることを認識したいところです。》(KY)


 その頃、築地本願寺は報道陣やファンが入り口をかためており、職員が出入りする際にもフラッシュを浴びるなど異様な状況になっていた。その騒ぎの中にあっても築地別院や東京教区教務所では通常の行事が行われている。通夜の時間には東京仏教学院の授業が平行して行われていた。
 学院生はひどい目に会ったよう。築地の学院の部屋にたどり着くまでに疲れ切った人も。年寄りは大丈夫で、大丈夫の部類に入れられ、「若くはない」ことを実感したひともいた。
 この日ファンが雨の中を座り込んでお通夜。



 《本日(7日)、たまたま築地にて東京教区青年僧侶協議会(東青僧)の理事会があり、群集の中をかきわけて参りました。一応理性が邪魔をして式場を覗くのは自制しましたが、勉強会のために築地にいた某は告別式をずっと覗いてトシとヨシキの生演奏を聴いたのみならずフィルム一本撮り切ったとか。

 導師は南組○○寺のY氏。遺影の脇に小さくとまったご本尊がなんとも・・・。

 友人がこんなことを言っていました。あれだけの若い人が築地本願寺に足を向けることは前代未聞、これからもないかもしれない。あの若者たちにとっては本願寺は単なる葬儀式場にすぎなかっただろう。それは悔しいし、あまりにももったいない。あの若者たちに少しでも真宗の教えを伝えることはできなかっただろうか、たとえばビラを配るとか。なにかの看板を立てるとか。

 その考えに対しては僕はまったく反対で、少々の腹立ちさえ覚えました。僕は葬式で築地本願寺を使ってくれたことだけでも感謝すべきと考えます。あの若者たちにとって、本願寺は決して葬式をした悲しい思い出の場所、二度と訪れたくない場所とはならずに、一種のなつかしさを覚える場所となったのではないでしょうか。本願寺が自分と全く無関係な場所であったのが、どういう形にせよ、思い出の場所となったことは、次につながる(足を向ける)可能性を生んだと考えるからです。

 そもそも大勢あつまったからそれを何とかしようという根性がさもしい。あの場で彼らにどういう方法をとったとしてもビラを配ったり看板を立てても全く無意味。布教にはならないでしょう。あの若者たちに何かを伝えようとするなら、ヨシキ氏に記者会見でそれなりの言葉を発してもらう、これ以外にありません。前日の記者会見でヨシキ氏が数珠をずっとかけていたのは僕は好感を持ちました。(CM)》


 《CM氏に同感です。今後、49日、一周忌に築地でメモリアルコンサートを企画してくれればと思っていました。(TK)》


 《自分も東青僧の理事会で築地にいました。理事会終了後境内をうろうろしていると西日本の間では、過酸素(過呼吸)でかつぎ込まれ、さらに重体の人は救急車で病院へ運ばれていました。その多さにいてもたってもいられなくなり、「看護婦さんに何か手伝うことは」と声をかけたところ、「ビニール袋がもっと欲しい」と言われT君と買いに行き、その後は介抱と運び込みを手伝うことになりました。

 結局、7時過ぎに門を閉めるまで数人で手伝っていました。

 今朝(8日)の天声人語に、若者の故人への献身的な態度を評価する記事が出ているそうですが、自分もそれを感じました。何時間も黙って行列し、最後にはゴミをかたずけて帰った。天声人語には大人たちの葬儀での態度も批判してあるそうです。飲み食いして大声でしゃべって大笑いして…。

 2日寝ずに何も食べていないという子もいました。喘息でうずくまっている男の子を介抱したときは、「迷惑をかけてすみません」と言われ、ジンときました。

 T君が「こういう時に神奈川組の『葬儀のしおり』を並んでいる若者に配るべきですよね。“亡き人をケガレとみて清め塩をまけますか。hideをケガレとみなしますか”と言いたいですよね」と言いました。CMさんの言うことに自分も賛成です。余計なことはしない方が良いのですが、若い人へ端から伝えることをあきらめていたのではなかったか。でも多くの人が、築地別院をメモリアルと思ってくれればよいなぁと思っています。(YM)》


 葬儀の日は、教務所の職員の中にも具合の悪くなった若者の救助活動に走り回った者も。翌日には腕が上がらなくなっていた。西日本間では、はじめ三人の看護婦さんがてんてこ舞い。そのうち応援の看護婦さんも来たが、「あなたお坊さんでしょ。だったら手伝ってください」と介護の手伝いもする。

 壁にとまったセミのようなご本尊の件。「あれでも二百台(高さ約80p)なんですよ」との教務所職員の弁。天下の築地別院ならバランスの整うような御本尊を用意しろよ。

 一方別院としては、若者たちがパニックに陥り暴徒化するのではないかとの心配もあり戦々恐々だったとか。実際南門は倒され、直径5p程の鉄製の閂(かんぬき)は曲がってしまい止め金具は飛んでしまっている。


 降ってわいた様な出来事ではあったが、多くのことを考えさせられた。まず、整然と並んで献花をする若者たちに好感を持った。自殺を美化するのではなく、故人を偲んでいた。少年事件の連続で若者のいのちに対する感覚が薄らいでしまっているとの危惧は杞憂だったのか。少なくとも多くの若者がいのちのはかなさを痛感し、いのちの尊さを実感して帰っただろう。

 メモリアルとしての築地本願寺というとらえ方は、今後の葬儀そして寺院のあり方にも多くの示唆を与えてくれていると思う。そのことを皆で考えようという提案もあった。

 また、この記事を読んでお気づきになられたと思うが、築地本願寺では、常にいろいろな会合が行われている。一般には風変わりな建物の寺院とか大きな葬儀をする場所とのイメージが強くあると思う。が、葬儀はむしろ臨時の行事である。この記事の中でも中組の組会(総会にあたる)、仏教学院の講義、東青僧の理事会、各種勉強会などの行事が行われている。築地本願寺は、東京教区(関東地方に山梨・静岡を含む1都8県)の寺院の中核となる施設であり、生きた活動をしている寺院なのである。


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