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『報復、ミサイル、政府対応』について |
「アメリカ報復攻撃、北朝鮮ミサイル、日本政府対応」 落語の三題噺ではありません。いのちの中のいのち(アミダ如来と私たち)の共通の願いは、いのちは他の都合によって手段とされたり、諍いの道具や蔑みの対象とされたくないということでしょう。つまり、人間の誤った判断(上の題に掲げた問題状況においては、誤った政策ということです)によって「脳奬が飛び散り、眼球が飛び出し、腕がもぎれ、足は踏みにじられる」という出来事を回避したいということです。アミダ如来の願い(普遍的な宗教感覚)とは、私が気づくに先だってこのいのちの中のいのちの願いに気づかれたものの総称であり、その具体的なはたらきかけです。 |
近代的な視点は、物事は要素が集まって成立すると推論(理論ですから仮説)して、その要素を調べることで全体が説明できるという要素還元主義的な発想に立つことが多くあるようです。これはあくまでも、一つの考え方であって全てではありません。しかし、この方法が全面に打ち出されることによって、身のまわりの問題を客観的に、分析、判断、予想、統御することができるというものの見方を近代社会の人は当然視してきたようです(例えば、わが身ひとつとっても、常識的に老い、病み、そして平均寿命前後で死ぬと思っています)。言い換えればこれは、問題を自分の外側にあり、私と関わりのないものであるかのように他人事として扱うことのできる考え方だといえます。その意味で、(主体的な人間の生き方が問われないかのように思われてきた)科学技術の場面では非常に重宝なものとされました。しかし、「人間とは何か」、「生きるとは何か」ということに直面せざるをえない問題を扱うときに、この要素還元主義に立つ発想は殆どといってよいほど歓迎されません。 |
社会問題をこうした分析、判断、予想、統御する近代的な見方で解析する学問的な方法が生まれましたが、人為による政治も、こうした客観的な方法を用いることが多いようです。つまり、現実認識をするとき、自己(この場合は国家)を棚上げして、客観的に出来事を見つめれば判断できるとするのです。今日、戦争を回避できるのは、世界の諸状況を要素に還元して考えることで、国家間の武力や様々な政治的力の均衡が保たれているからだという見方が生まれています。それで、武力によって現状を認識しようとするのは、実用主義的な見方としてとても受け入れやすいのです。 たとえば、アメリカが報復ミサイルを打ち込んだのも、何故米国大使館に爆弾テロがなされなければならなかったのかという自己の抱える問題を全くといってよいほど棚上げして、しかも自身は世界の警察国家であるかのように振る舞っているからこそできるのです。 |
しかし、私たち仏教者は次のような視点から「否」といえます。北朝鮮がミサイルを打ちました。これに対して日本政府衆参両院は、全会一致で抗議声明を出しました。山崎政調会長がいうようにこれは憂慮すべき周辺事態です。しかし、それと同じように、米国大使館テロに対して抗議声明を出せますし、報復攻撃に対して抗議声明を出すことだってできます。もっと身近なところでいえば、核を保有し、それを日本に持ち込んでいるアメリカという外国に抗議声明を出してもおかしくないはずです。憂慮すべき事態は、北朝鮮のミサイルに止まりません。ミサイルを防衛するはずの防衛庁は、(身内の防衛にやっきとなっていたのか、失礼、適切でない表現でした)ミサイル発表が遅れたことの方が憂慮すべき事態ではないでしょうか(米韓の方が先です。だからといって武力の予算を増やすのならヤブヘビです)。それだけではありません、いざとなったら本当に危険な原発を国内で稼働させていること、ダイオキシン問題を放置していること(私は所沢の住民としてそう思えます)、かつての熱狂的民族主義者を英霊として祭る靖国神社に国会議員という国家公務員が公式参拝して いること、国家的な金融破綻に対して背任行為ともいえる往時の議員・官僚が責任をとらないこと、効率性でいのちを考えているために未だ息をし、拍動し、体温のある人間にメスを入れ臓器を取り出して殺していることなど、周辺の憂慮すべき事態は数え切れません。しかも、それを当然のこととさせている状況は人間を非人間化させていきます。それはあたかも、戦中に自分たちの都合を満たすために、日本国民に「どうか、鬼畜米英が死にますように」と本気で考えさせた政策が誤りであったのと同じように、「どうか、早く誰かが脳死という状態になってください」と人の死を望むことを人々に望ませる状況が今生まれているということです。 |
今から約215年前に石見(今の島根県)の有福の地に善太郎という人が生まれました。有福の地は、多くの深い生き方をした念仏者(妙好人と呼ばれる)が世に出た所です。善太郎さんも、ご縁に恵まれ、いや恵まれたご縁をしっかりといただかれた方でした。これは善太郎さんがお念仏の教えに頷かされてからのことです。 夏の暑い日、山の下草刈りに朝早くから出かけ、日が落ちてから家路に着きました。「今日もお陰さまで、一日働かせていただいた。ありがたいことだったなあ」と感謝のお念仏を称えながら家路に着き、勝手口から家に踏み込んだそうです。お念仏の教えというのは不思議なもので「ないもんほしがらんで、あるもん喜ばせて貰おうよのう」(山口県萩市の河村ふでさん)という生き方を恵まれるといいます。今、ここにある私がそのまま頂戴できる領収書が、念仏を頂くということだといいます。生産性と経済性が最大の関心事となっている世界を好んでいるとこういう生き方とは随分遠いところにいるようです。 ところが、台所に一歩踏み込んだ途端に、先ほどのお念仏が吹っ飛んで、変わりに小言がでたというのです。それは、妻のオトヨさんが今頃になっても夕食の支度をしておらず、しかも行水のお湯を沸かしていなかったからです。ところが、オトヨさんもどこか虫の居所が悪かったのでしょう。小言を言い返しました。善太郎は、癇癪玉が破裂して今持って帰った薪を振り上げたのです。オトヨさんは庭に逃げ出します。遂に追いつめられ頭を抱えてかがみ込んだところに薪を振り下ろそうとした時に届いてくれたコトがありました。善太郎の口をついて、ナンマンダブと如来様の呼びかけが出ました。善太郎は力萎えてしまいました。泥足のまま母屋に上がり、お内仏の扉を開け、お明かりをあげ、薪を仏前にお供えし、「ナンマンダブ、善太郎が出ました。また、善太の自性がでました」と言ってさめざめと涙しながらお念仏したそうです。 もし、善太郎に如来様の呼び声が届いていなかったらどうしたでしょう。振り下ろした薪は、オトヨさんの頭から血を流したかもしれません。いきり立っている善太郎は、「ざまをみろ。俺の言うことを聞かん奴はこうなるんだ」と息巻いたでしょう。しかし、床についてからも、「痛い、痛い」と呻く姿にいつまでも、ふんぞり返っておれないのが、連れ合いというものです。なんで、あそこまでしてしまったのだろうと、後悔にくれていたかもしれません。しかし、善太郎には日頃の聴聞を通して、呼びかけてくれるいのちの中のいのちそのもの(如来)の願いが届いてくれていたお陰で転ぜられる世界を賜っていたのではないでしょうか。呼びかけの届くところには、そうか、そうか、女房には女房の都合があって食事の支度も遅いのだろう。今日は、水で行水をさせて貰って、夕食の支度ができるまで、お夕事のお勤め(お参り)をさせて貰おうと転じる世界が開かれています。 |
手を振り上げた人にどうすれば届くのかと仏教に答えを求めるようとするのは、近代的な思考に慣れたからです。固定的な答えがあると思っています。あるのは、み教えを聞く今の私が生き方を作るということのみです。仏教に触れたら問い(願い)が生まれ、行動(実践)が生まれるのです。問いすら求めるのが近代知といえるでしょう。 今の私が、念仏との出遇いにより気づかされたのは、「ひとつひとつのいのちはかけがえがないということ。それに対して、科学的で経済的な近代の思考は、いのちを何かの目的のために道具や手段にすること。すると、人のいのちは、一部の人間の都合を満たすために、血が流れ、そのことに涙を流し、ケロイドは残り、乙女の生涯はズタズタにされること。気づかぬことは、『あの時はしかたなかった』という生き方を作りやすいこと。今、いのちを手段化する諍いを見過ごすこと。非戦の立場、さらに踏み込んで悲戦という視点に立てずに、戦争や人権を踏みにじる差別を肯定する諸状況を生み出してきたということ。それは仏教の名前で人々を戦争に駆り立てた過去を持つということ。気づいたものは非戦(悲戦)という視点に立って動くということ。念仏とは心の中の自己陶酔ではないということ」です。今、私動いています。ナンマンダブ。 |
(本多 静芳) |
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