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 脳死による臓器移植の実施


  臓器移植法制定後、初めての脳死による臓器移植が実施されました。


  一連の報道を見ての印象は、いよいよ日本でも脳死による臓器移植が実施できるという高揚した雰囲気の中でものごとが進んだということです。

小林 泰善 



  2月25日、高知赤十字病院で主治医による臨床的脳死の診断が行われ、家族の同意を得た後の報道。そして、臓器移植法に基づく判定ではそれが覆されてしまった、その間の報道を見ていまして、テレビ画面に出てくる人々の一喜一憂する姿に、なにか違和感がありました。

  ひとりの死に際してこれほど人々の関心が集まったことは、昭和天皇の死の時以来のことではないかと思います。ただ、その時と人々の意識の中で大きく違うことは、その人の死に期待が集まったということです。そして、27日に二度目の脳死判定会議が開かれ脳死と判定、移植手術が実施されました。今度は報道の自粛(規制かもしれません)が行われました。



   いみじくも、今回脳死の判定が、脳死という事実を期待する医療者・患者・マスコミそして日本という国家の中で行われているということが明らかになりました。また、臨床的脳死は法的脳死とは異なるということで、脳死の判定が如何に曖昧なものであるのかも明らかになりました。そして、その判定は密室で行われています。

   今回の件で、臓器移植にあたっての報道のあり方が問題になりました。しかし、判定が密室で行われている以上、情報が公開されなければその判定の信頼性は失われてしまいます。その上、報道が規制されたら、その死はいくらでも操作できるということになってしまいます。

   アメリカで、臓器移植が「脳死が人の死か」という論議をせずに実施されているため、専門家の間でもう一度論議すべきとの論調が出てきているのだそうです。そのアメリカでは、年間二千数百例の臓器移植手術が行われその数はここ10年横ばいだそうです。移植を必要としている人が年間推定五万人もいるのにです。

   いずれにしても、この医療は平等には施されていないのです。また、これからも将来に渡って平等に施されることはありません。もし、それができるとしたら脳死者を移植を必要とする患者の臓器の数に適合するまで増やさなければならないのですから。

   今回の移植手術を受けた患者は、順調に回復に向かっています。現代医療の技術水準の高さをあらためて知りました。このすぐれた医療を、人の死という代償を抜きに実施できたらどんなに良いだろうかと思います。

   ただ移植手術の成功を喜ぶのではなく、今回の移植手術の経験が、脳死という人の死と、その判定にかかわる問題に関する論議をさらに深めていくことになってほしいと思います。脳死による臓器移植を、「つなぎ医療」と表現している方がありました。臓器移植が始まったことが、医療技術の進歩だけでなく、本当の意味での医学の発展に寄与することを望みます。



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