最近のニュース・コラム 02



「サダコ」


  最近、テレビで原爆の後遺症でなくなったサダコ(佐々木禎子)という少女の物語を見ました(広島の平和公園にある、「原爆の子の像」のモデルです。)。このサダコさんの話しは小説になったりして、世界中で読まれているそうですが、スペインのある学校では、この少女の名前を学校名にして、平和学習の教材にも使っているそうです。そこでは、「戦争は歴史につきものではなく、悪である」と教えているそうです。(この言葉、かなり勇気づけられました。)
 もう一つ印象に残った話は、そのサダコの話を読んだアメリカの核開発最前線の町、ニューメキシコ州のロスアラモスという町の少年、少女の話です。彼らは平和と核廃絶の祈りをこめたモニュメントを全米からの募金によってつくりましたが、その町の公園内に原爆を投下した8月6日に除幕式を行うという計画書を地元議会に提出するも、議会の反対にあい、8月15日即ち、終戦の日だったらモニュメントを建てることを認める(核によって戦争が終結した日という意味で)、という条件をつきつけられました。大人たちは核で多くの子供が犠牲になったことを記念するための像ではなく、核によって、日本との戦争に勝った、という意味あいを持たせたかった。一方子供たちは、核による戦争の愚かさと、そこから学んだ平和の尊さを訴えたかった。というのが正確なところだったと思います。結局、その日(8月6日)を譲れない彼らは、隣の町で8月6日に除幕式を行ったという話でした。
 浄土真宗本願寺派の「千鳥が淵全戦没者法要」は、毎年9月18日に行われています。9月18日は先の大戦の発端となった柳条湖事件の起きた日です。
 このテレビを見ていてわれわれが戦争を始めた日としての、9月18日の法要の意義をもう一度再確認すべきであると自戒をこめて感じました。
 国旗国家法が通り、靖国神社の国家護持もという、戦争という国の行った負の遺産への揺り戻しが起きつつあります。そのような時であるからこそ、ますます千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要の意味が重く感じられます。宗門がその負の遺産への揺り戻し(楽な道)に流される事がないように、戦争への特別な思い入れ(感傷?)のない私たち若者が中心になって参加していかなければならないと思います。
 おりしも今年の仏教青年会の全国大会はヒロシマで、広島平和記念公園と、その中にある平和記念資料館を見学しました。そこでの学習を無にしないように考えていきたいと思います。

                          竹柴 俊徳


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