最近のニュース・コラム 03



「非戦・平和」


  9月18日、皇居お掘り端にある国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、浄土真宗本願寺派主催の全戦没者追悼法要が厳かに行われました。朝方の雨でところどころに水たまりのある中、開会の1時間以上前から三々五々門信徒や僧侶の方々が集まりはじめ、広場に張りめぐらされた大テントは二千人余りの参拝者で埋めつくされました。

  本願寺派主催の全戦没者追悼法要は毎年9月18日に行われており、今年で19回目を数えます。

  この法要の目的と願いは、当日の「法要のしおり」に明記されています。(下記引用)

  中でも、「全戦没者」とは一般的にいう戦死者(英霊)といわれている人々だけではなく、敵味方を問わず戦争で犠牲になったすべての人々であるというところに大きな意義を感じます。また、世界各地で戦闘が繰り返されるなかで、私たち仏教者が、非戦平和の立場からいのちの尊さを強く訴えていくことの必要性を、あらためて痛感いたしました。

                               小林泰善
    千鳥ケ淵全戦没者追悼法要の願い

(全戦没者追悼法要の願い)

   浄土真宗本願寺派が全戦没者の追悼法要をお勤めしますのは、すべての人びとがいのちの尊さに目覚め、ともに手をとりあって生きることこそ、浄土真宗の教えであるからです。したがって現実社会の平和を求める営みは、浄土真宗の信心に基づくところであります。

   ここで全戦没者というのは、戦場で戦死された方がたはいうに及ばず、人類がくり返してきた幾多の戦争によって尊い生命を失った、全世界のすべての戦争犠牲者の方がたであります。

   「国家のために」「民族のために」という美名のもとに、人類は数多くの戦争を、自ら歴史に残してきました。こうした行為は「生きとし生けるものすべて」のいのちの尊さに目覚めることを説く、浄土真宗の教えに大きく背くものであります。

   しかしながら、私たち浄士真宗の教えに生きる者が、その時代、その社会のなかに埋没してしまい、いのちを奪い、いのちの尊厳を踏みにじる戦争という行為に加担し、積極的に協力してきたのも、また私たち教団の歴史であります。

   こうした教団の歴史を省み、宗祖親鸞聖人のお心に立ち返ろうとするとき、平和を守る営みとしての「全戦没者追悼法要」をお勤めすることは、すべてのいのちの尊さに目覚める信心の営みとして、最も大切なことであります。

   宗祖親鸞聖人は、念仏の教えに生きる者にとって、全人類はもとより、生きとし生けるものすべてが、御同朋であると示してくださいました。

   この御同朋の教えに生きることが、信心であり、それは、平和を求めて生きる営みとして展開されるところです。

   このたびの全戦没者追悼法要は、戦争という人類にとって痛ましい歴史を振り返り、戦争の犠牲となられたすべての人びとに思いをよせ、再び、戦争への道を歩まないという決意を新たにする法要です。



(千鳥ケ淵戦没者墓苑での法要)

   このような願いをもって浄土真宗本願寺派は、東京・千代田区の国立・千鳥ケ淵戦没者墓苑において追悼法要をお勤めします。ご承知のように、この墓苑は、先の戦争で命を失われたすべての人びとの死を悼み、平和への思いを新たにするという国民の願いによって設けられた国立の墓苑であります。したがって、この墓苑に参拝することは宗教・思想・信条や国家・民族などあらゆる違いを超えて、人びとの等しくもつ、平和への願いを行動に示すことであります。

   私たち念仏者は、全戦没者追悼法要という行為をもって、自らの平和への願いをさらに強固なものとし、すべての人びととともに平和な社会を築くことに全力を傾注しようとするものであります。

   この追悼法要は、単に儀式を執り行うことにとどまらず、私たち教団のすべての営みが、反戦・平和への営みであることのあかしとなるものです。このような願いのもとに、私たち浄土真宗本願寺派は全戦没者追悼法要をお勤めします。
                  −全戦没者追悼法要委員会ー


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