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「自殺について考える」その1 |
警視庁の調査によりますと昨年(98年)の自殺者数は32,863人で、前年より34.7%も増えるという過去最悪の事態になっているということです。この数字は、交通事故による死者の数の3倍以上になり、まさに異常事態と言っても言い過ぎではないと思います。特に中高年の男性の自殺者の増加が目立とのこと、業績不振やリストラを引き金に死を選択するケースが目立つのだそうです。 朝日新聞によりますと、欧米では自殺予防対策の中で「自殺者の9割は何らかの精神疾患を持ち、うち5割前後はうつ病だった」との報告がなされています。そして、うつ病は治る病気であり、適切に介入することで自殺者をある程度減らすことは可能とのことであります。 ストレスの多い社会で、一心に前に突き進んでいく内に精神的に限界を越えてしまうということだと思います。なにか、日本の社会全体が「うつ的」な状況になってきているのではないかと思います。走って走って気がついてみたら、周りに誰もいないというような孤立感。これは、ある程度誰でも持っている思いではないかと思います。その孤立感が限界を越えたとき、自殺願望が突如として生まれ大きく膨らんでくるのではないでしょうか。 自殺ではありませんが、最近、池袋や下関で起きた通り魔による無差別殺人事件も、精神的孤立感から生じた事件のような気がしてなりません。 最近ラジオの深夜番組で、寂しさをテーマにしたコーナーが人気をえているとの新聞記事がありました。現代を象徴するような社会風潮なのかも知れません。さびしさという感情をたのしむのだそうです。 しかし、“さびしさ”という感情は、他を拒否するという側面も持っています。個に閉じ籠もるというところには、他を顧みない身勝手さも見え隠れします。 私たちは、いつの間にかこころの「ゆとり」ということをどこかに置き忘れてきてしまっているのではないかと思います。仏教は、そのこころの「ゆとり」を生じさせる教えです。自分自身のこころの状態をふり返る習慣を身につけます。そして、一人では決して生きていくことのできない身であり、多くのいのちのおかげによって生かされていることを知らされるのです。そして、そのこころを、法話を聞く(聞法)という習慣のなかで常に失わないのが念仏者のあり方です。 うつ病に対する理解と対策は、今とても重要な問題だと思います。それと共に、社会の中で、一心に突き進んで行く上で、仏教の教えに合う時間を大切にしていける「ゆとり」ある状態を個々の中に作っていくことが重要なことだと思います。 小林 泰善 |
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