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「自殺について考える」その3 |
先日築地本願寺で勤修された三法要の講演会の際、作家の五木寛之氏が自殺問題についてだいぶ触れられていた。 その講演の中で氏は、現代という世を、平和だと思われがちだが年々急増する自殺者の数は、第二次世界大戦時の戦死者の数をすでに超えてしまっているというようなことをいわれていた。 自殺者数の統計を年度別に比較してみると、戦後の高度経済成長時が一番のピークであった。そして昨今の不況により、近年上昇傾向にあるそうだ。これは、世の中が急激に変わろうとしたときに、人はその流れについていけなくなり、自らの人生の拠り所を失ってしまうということではないだろうか。 人間にとって一番辛いことは、自分の「今」が否定されることだと以前聞いたことがある。では、否定するのは誰であろうか。 他の人、世間であろうか。それまで築いてきた財産であろうか、地位であろうか、名誉であろうか。また、自分自身ですらが、自分の「今」を否定してしまうのが我々人間であり、それにより自殺という結果が生じてしまう。 しかし、偉そうに書いてみても、実際その場になれば目の前のものしか見えなくなるのが人間である。私自身もつらいことがあると現実から逃げる事をついつい望んでしまう自分がいる。それこそ、自分の「今」を否定してしまいたくなる事ばかりの日々を過ごしている。 そんな私だからこそ、釈尊の最後の言葉である「自灯明自帰依、法灯明法帰依」(自分の人生は自らの足で歩みなさい。そして、危なっかしい私たちだからこそ確かなもの「仏法(縁起の道理=仏さまのみ教え)」を拠り所として生きなさい。)という事を思い知らされる。 決して誰も代わってくれない人生を私たちは今生きている。逃げたくなりながらも、なんとか逃げずに耐えているのかもしれない。だからこそ、本当に確かなものを拠り所にして生きていきたいものである。 岩佐 准光 |
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