石原慎太郎東京都知事の「三国人」発言には驚かされました。石原知事は、差別の意図は無かった、マスコミの取り上げかたに問題があると、強気の姿勢を崩していません。政治家としての資質が問われる事態になっていると思います。
国際化社会に生きる私たちは、歴史に学ぶことを忘れてはなりません。特に国や日本人社会の犯した過ちを学びそれを繰り返さないという姿勢が大切なことだと思います。ましてや、政治家にとっては、それを今後の政策に生かしていく視点が無ければならないことだと思います。
関東大震災の時、朝鮮人騒ぎが各地で起こりました。震災の混乱に乗じて、朝鮮人が暴動を起こし、その暴動がすぐ近くまで迫っているとのデマが流され、その混乱の中で多くの朝鮮の人々が殺されました。その数は5,000人とも言われています。当時幼かった人々のお話を聞きますと、地震よりも朝鮮人騒ぎの方がよっぽど恐ろしかったと話してくれました。そして、当時日本におられた朝鮮の方々はもっと怖かったのです。
その反省から、大震災に対する防災マニュアルには、必ずデマに惑わされないようにという項目が入っています。石原知事はそのことを知らないのでしょうか。石原知事の「暴動対策」とか、「抑止効果」などという言葉は、外国人差別が根底にあっての発言としか考えられません。
ましてや「三国人」という戦争中の近隣諸国の人々を蔑視する差別用語を用いているのですから何をか言わんやです。最近では、時々、外国人による凶悪犯罪が報道されています。だからといって、地震などの非常時に外国人が暴動を起こす可能性があると決めつけるのは如何なものでしょうか。関東大震災の時の差別心からくる恐怖心と全く同じレベルのものではないでしょうか。
犯罪は、どこの国の人間でも犯す可能性があるのです。犯罪防止と外国人対策はまったく別の次元の話です。国際都市である東京都の知事としては、すべての国の人々が共存共栄できる都市づくり町づくりのために努力すべきなのではないでしょうか。
この度の件で知らされることは、差別をなくすということは、差別用語を使わなければ済むということではないということです。差別用語の裏に潜む一人一人の差別心が問われていると言うことです。
自分自身の差別の心に気づくことは意外に難しいことです。指摘されてもなかなか気づけないのが私たちの常であります。また、指摘されるという機会もめったにあることではありません。このような機会にともに勉強をさせていただきましょう。
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小林 泰善 |
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