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ダライ・ラマ14世の講演会



  去る4月18日、静岡ホテルセンチュリーにおいて、チベット仏教の最高指導者である、ダライ・ラマ14世の講演会があり、私も千数百名の聴衆の中の一人として、ダライ・ラマ法王にお目にかかり、ご法話を拝聴するという希有なるご縁に会わせて頂きました。本当に、よくぞ静岡市にお立ちより下されたことと、感激したことです。何しろ、歴史上の人物、ワールドクラスのVIPですからね。

  当日の感想を少々書いてみたいと思います。まず、法王の終始変わらぬ温和な笑顔、茶目っ気のあるしぐさ、穏やかな声に引き付けられました。まさに、「和顔愛語」、宗教者として欠くことのできない要素だとあらためて実感しました。しかし、あれはつくろってできるものではなく、きわめて自然なんだと思います。見せかけではすぐにばれてしまうでしょう。

  ご法話の内容は、「幸福というのは外的状況が決めるのではなく、内なる心が決める。その心をかき乱す煩悩をどのようにコントロールしていくかが問題である。私は、常に因果の道理を思い、無常の法を思い、この世の本質は苦であることを思い、また、すべての生きとし生けるものは皆同じであることを思う。そのことによって、身口意の三業を整える。人生は広い視野で、いろいろな観点から見ていくことが大切で、それによって、マイナスの出来事も、自分を向上させるための良い経験であったと気づく。私たちは、苦悩から耐えることと赦すことを学ぶのである。また、人間がもともと持っている思いやる心といたわる心(慈悲・利他心)を開花させ育んでいくことが大事で、その思いやる対象は、すべてのいのちである。」といったものでした。当たり前ですが、チベット仏教も我々が学んでいる釈尊の教えも基本は同じだと、うれしくなってしまいました。

  これらのお話もさる事ながら、一番感銘を受けたのは、ご法話の後の質問に対する法王の回答でした。それは、「ダライ・ラマを意識したのはいつからか?」という質問でした。それに対するお答えは、「私は、いつでも、一介の仏教僧にすぎないと思っています。私は、煩悩を抱えながら、仏法に従って生きる一人の比丘です。」というものでした。その時会場から拍手がわき起こりました。「ただ、不思議ですが、時々ダライ・ラマ13世の夢をみますけれども・・・」と笑いながらさりげなく付け加えられたのも印象的でした。釈尊の生まれ変わりだと言ってはばからない、どこかの教祖に聞かせたいものだと思いました。


南荘 乗宏  


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