森首相の「神の国」発言に対して、真宗者として黙っているわけにはいきません。この現首相が「信教の自由」の認識にも、またそれが成立した「歴史の認識」についても、完全にずれている感覚に対して、ただ、驚いています。
陳謝したといっても、何を意識してかは、次期選挙を前にして、余りにも見え見えです。
連立政党である公明党に対する配慮であって、主権である国民に対する陳謝とは思えません。首相は19日の参院本会議で国民に陳謝するものと答弁していますが、陳謝の経緯は明らかであり今更取り繕うことはできません。
森首相の、「神の国」発言の釈明には、「神様であれ仏様であれ、天照大神、神武天皇、親鸞上人さん、日蓮さんであれ、宗教は自分の心に宿る文化だ」(5/16付 Asahi.comより)とあります。しかし、神と仏の違いを明らかにした親鸞聖人を引き合いに出して釈明の言葉にしている表現は、浄土真宗の教えを聞き、伝えようとする生き方をするものにとっては教えの誤解として全く受け入れがたいことです。そしてそれだけでなく、大きな影響力のある立場の人の発言だけに誤った真宗の理解を広めることになることが危惧されます。
また、先に触れたように、「信教の自由」や「政教分離」、天皇制を巡る問題も、問われていることであることだと思います。
森首相からは、あくまでも政治的優位を保つための言葉しか期待できそうもありません。それでは、宗教的な問題は誤解されたままになります。
しかし、こういう時だからこそ、宗祖親鸞聖人の生きた姿をはっきりさせる必要性があるのだと思います。
宗祖は、仏教の宗教的生命を「心の問題」にすり替えることで、社会やそれを形成する私たちの身の問題を問わずにいることは、仏教の名を掲げながらも仏教であることを見失っているということを示してくれています。(化身土巻など)
なお、浄土真宗本願寺派からは、5月17日に基幹運動本部長名で森首相宛に抗議文が出されていますので添付いたします。
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本多 静芳
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