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「早島鏡正先生を偲ぶ」



  4月28日早朝、早島鏡正先生はご自坊の宣正寺でご逝去されました。77歳でありました。

  先生の学者としての輝かしいご事蹟については、もっと語るにふさわしい方がいらっしゃると思いますので、晩年の先生のご様子についてご紹介いたします。

  神奈川組では、仏教壮年会の年5回の研修会を組仏壮結成当初から今年の1月まで、早島先生のご講義をいただいてまいりました。

  4年ほど前、急におヤセになられたと思いましたら前立腺の手術をなされたとのことでありました。この時に、長男で住職の大英さんは先生の病気を医師から知らされていたとのことであります。2年前には足の手術をされ車椅子の生活になりました。

  その間、仏壮の方々と一緒にご講義を聴聞してきましたが、車椅子で演台の近くまでこられ椅子に移動してお話が始まりますと、すぐに元気な声といつもの笑顔にもどられ、いつの間にか、お元気なときと全く変わらずにお話をうかがっておりました。

  奥さまのお話では、大英さんから家族のみなさんに病名が告げられた後、先生に病名を告知するチャンスを窺っていましたがなかなか踏ん切りがつかずに、一年ほど前の5月中旬に告知なされたのだそうです。すると先生は、「あ、そうか。よし、わかった」と答えられただけであとはまったく変わりがなかったそうです。その後も、ご自坊の婦人会、千葉組の中原寺など、車椅子ではありましたが精力的にご法話に出かけられました。6月23日には、神奈川組善教寺で開催された東京教区南ブロック寺族女性研修会において記念講演をなさっておられます。

  先生のご著書『念仏一茶』に、一茶の『父の終焉日記』が紹介されています。その中で、念仏の信篤い信州柏原の地で、お医者さんにさじを投げられた一茶の父親がお念仏の友に「本願念仏におまかせしろよ」と送られていく様子と、「いざ行かん、いざ行かん」と亡くなる2日前にうわ言のようにつぶやいたことが書かれています。

  先生が亡くなられる前日の27日には、宣正寺で組仏壮の理事会が開催され、先生も理事の代表の方々とお会いになりました。病気を得られた後も、最期まで伝道者であられた先生は、念仏の友に囲まれて阿弥陀さまのお浄土へ往生の素懐を遂げられました。


小林 泰善  


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