6月8日の讀賣新聞・朝刊の「にっぽん人の記憶 20世紀」というコーナーで「白喪服」についての記事が掲載されていました。喪服は、以前は白であったというのです。
「喪服は白を着たの。昔はみんな白。帯も白だった。黒になったのは、最近ですよ」千葉県佐倉市の加瀬於よねさん(101)は、懐かしそうな表情で、喪服の色の変化について話した。
(中略)
元来、和服の黒は、めでたいものだ。婚礼で親族の既婚女性は黒留めそでを着ることになっているし、祇園、浅草などの花街では、黒の紋付きで新年を祝う。祝祭の黒が、哀悼の黒に変わったのは、1897年(明治30)の、明冶天皇の嫡母、英照皇太后の葬儀の時だった。明治政府は、哀悼の意を示す方法として、服の左腕や旗の上部に、黒の腕章、記章、布などをつけるよう告示した。列強の国賓に笑われぬよう、黒を使った西洋風の葬礼を導入したと見られるが、人々は驚き慌て、この年の「国民新聞」には「たちまち、ここに、黒紗(布)の払底を来し、15日までに大小の呉服屋ことごとく売り切れ尽くし、価も暴騰」という騒も記録されている。
1911年(明冶44)には、今の喪服に直結する黒の上下に黒ネクタイなど、黒ずくめの服装が、皇室喪服規定で定められる。・・・。(讀賣新聞2000年6月8日)
私は以前に一度だけ白喪服を着ている方を見たことがあります。その時初めて、以前は喪服が黒ではなく白であったことを知りました。読売新聞のこの記事を見て、その経緯を知ることができました。
西洋では、タキシード+黒ネクタイというのが最も正式な服装だそうで、すると現在の黒ネクタイも、本来は喪服用ではなく礼装の意味ということになります。
同新聞記事の中で
大正大学文学部の藤井正雄教授(宗教学)は「日本人にとって白は、次の世界への旅立ちの色。白喪服の白は、結婚式の白むくにつながる。黒喪服の登場は、死から、あの夜へのの出発という意味を奪ってしまった。特に戦後は、親族でもなく喪に服す必要のない人までが、喪服を着るようになった。国内では横並びで無難でも、欧米にはない習慣で、海外の国葬で、日本の大臣の黒服が、ほとんど平服の参列者席で浮いてしまうケースも多く、恥ずかしい」と嘆く。
明胎政府が西洋風を取り入れるべく導入した黒喪服が、日本人の特異さを際立たせる習慣に変質してしまったのは、歴史の皮肉だ。
と書かれています。
このように、私たち現代人は、黒喪服に限らず、明治期以降に始まったものがさも「昔から」続いているように思い込んでいるものが多いように思います。
歴史を学ぶということはとても大事なことだと思います。過去の事柄を学ぶという意味は、単に知識を学ぶだけではなく、私たちが、未来に向かってどうしていくべきなのかを学ぶことだと思います。
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宮本 義宣 |
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