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「世紀末と真の仏教」



 21世紀まで、あとわずかになった。西暦は元来キリスト教暦なので、こうした歴史区分が、仏教徒である私たちにどれだけの意味を持つか疑問視する声も聞こえるが、時代が今、大きな節目に差しかかっていることは、誰もが実感しているだろう。

 20世紀は、資本主義経済が高度に発達した時代であった。工業化に成功した国々では、人々の暮らしが百年前より比較にならない程、豊かになった。しかし、世紀末の現在、これ以上物質的豊かさを追求することは、大きな壁にぶつかっている。

 一つは地球資源に限りがあり、大量消費が許されなくなったこと、もう一つは環境破壊の深刻化である。 国土の狭い日本では、特に環境問題は放置出来ない事態に立ち至っている。日々、大量に発生する産業廃棄物の処理が、とても追いつかなくなってきたのだ。全国各地で、産業廃棄物処理施設の建設をめぐって、深刻な地域紛争も頻発している。

 環境問題は、政治家や企業家の努力だけでは、なかなか解決が困難だといわれる。物質的な豊かさを追求する人々の価値観を、根本から変えていかねばならないからだ。

 つまり、人間の幸福とは物を大量に消費することではない、という価値観を確立することである。これは仏教が昔から説いてきた「少欲知足」という考え方を、どう現代人の心に訴えていくか、ということでもある。

 このような問題を考えていく時、私には大変気になるのがオウム真理教の存在である。最近、オウムはまた各地で紛争を起こし、マスコミの話題になっているが、何故あんな凶悪事件を起こした後でも、多くの若者の心を引き付けるのだろうか。ここから、どんな時代風潮が読み取れるのだろうか。

 オウムという宗教は、ほとんど「現世利益」を説かないといわれる。彼らの出版物には、出家、修行、最終解脱、超能力、予言、世界の終末、輪廻・転生等、多少でも仏教に関心ある人には、お馴染みの言葉があふれている。過激な行動とは裏腹に、建前としての教理は意外なほど哲学的なのである。

 戦後の間もない時代に、たくさんの新宗教が誕生した。その中で、短期間で巨大化した教団が説いたのは、まさしく現世利益だった。「私たちの教えを信じれば、お金が儲かりますよ、病気も直りますよ…」。経済的に貧しい時代には、こうした教義に多くの人が引き付けられた。しかし今日、それらの教団にはかつてのような勢いがない。

 生まれた時から豊かな環境で育った若者たちにとって、現世利益信仰は必ずしも魅力的ではないようだ。そうした若い世代がオウムのような集団をささえる基盤となっている。

 もしも今後、このような層が大幅に増えていけば、我が国の宗教の在り方が大きく変わっていく可能性がある。現世利益こそ、日本人の信仰意識の根幹をなす特徴だと、これまで宗教学者の多くが、説明してきたからだ。

 仏教は本来、現世利益を説かない。しかし、社会全体が貧しく、自然現象に対する知識も十分でない時代には、方便としてそうした布教法も必要だったのかもしれない。その意味では、20世紀末の現代になって、ようやく正しい仏教が受け入られる外的環境が整ったともいえるのだ。 

 今、この国では大変動期が始まっている。経済も社会も、これまで当たり前だったことが、当たり前ではなくなってきている。下がるはずのなかった地価は下がり続け、つぶれるはずのない銀行がいくつもつぶれていく。一度就職すれば安泰のはずだった大企業では、リストラの嵐が吹きまくっている。

 こうした状況が続けば、人々の価値観は着実に変わって行くはずだ。経済至上主義、経済的な利益の追求こそ絶対という、戦後社会を支えてきた価値観が大きく揺らいでいるのだ。

 これからの新しい時代、人々の関心は、精神的なものに向かわざるを得ない。21世紀が心の時代といわれる所以である。しかしそれは、必ずしもバラ色の社会を意味しない。オウムのようなカルト集団が出現しやすい環境ともいえるからだ。

 一方、私たちにとっては、これまで夾雑物に紛れて、必ずしも明らかではなかった真の仏教を、広く伝えていくことが出来る、可能性に満ちた時代の到来ともいえるのである。



(1999年度「仏教岐阜」岐阜県仏教界発行より転載)
野生司 祐宏  


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