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1997年6月に成立、同年10月に施行された臓器移植法の付則第二条には、「施行後、三年を目途として必要な措置が講ぜられるべきものとする」とあり、それがもうあと3カ月、今年の10月に迫っている。 脳死からの移植を推進する立場からは移植禁止法とも酷評される現行の移植法の下での臓器移植は、回を重ねるごとに報道の熱も冷め、もはやマスコミからは関心の外の話題になったようにも思える。センセーショナルな報道が脳死からの臓器移植をミスリードする危険性は何度も指摘されているが、では熱が冷めた現在、冷静な報道がされているかというとこれも疑問が大きい。いや、むしろ別種の危険が増したとも言えよう。なぜなら、冷めた報道はそのまま脳死からの臓器移植を世間が容認したとの証と判断されがちだからであり、それは必然的に現在のガイドラインを緩和させる方向を導くものだからだ(と言うより、先に挙げた付則第二条の含むところはあらかじめ緩和の方向しか見ていないことは明らかである)。 今回の移植法の見直しで一番注目されているのが、ドナーカード(臓器提供意思表示カード)を持っていない脳死者からの移植を認めるか否か、すなわち家族の同意のみによって移植を認めてよいのか、そしてその先に見えるのは、15歳以下の年少者からの移植を認めるか否かである。 私は脳死からの臓器移植に関しては臓器を望む人と自分の臓器を提供したい人がいるなら、論評の対象ではないという立場を取る。個と個の取り引きに口を挟んで何を聞き入られるというのだろう。 しかしそれが「不要な臓器の有効利用」というレベルで一般化されていく道には断固否を称える。 第一に、対象となる肉体が「不要な臓器」となったと判断する線引き、回復が期待できるか否かの境界線が、この数年の間にさえ移動しているという事実がある。脳低体温療法に代表される技術は、従来なら救命不可能とされた重体患者さえ、後遺症もなく社会復帰させる例を生んでいる。今臓器供給のターゲットと見られる年少者は特に脳の回復力が高いことが確認されているのだ。また、移植でしか助からないとされてきた心臓疾患の治療も成果を挙げてきている。 そして、相も変わらずと言うより、益々の、医療関係者への不信がある。移植用の新鮮な臓器が欲しいために救命医療をなおざりにされるのではないかという不信である。それは移植医に対して特に顕著であり、その不信は移植法成立以来増すことはあっても決して減ることはなかった。この二年間の数少ない移植例のいずれもの混乱を移植医たちはマスコミや一般大衆に責を置きたがる。が、その態度こそが医師不信を生んでいることになぜ思いいたらないのか。 と、ここまで書いたところで森岡正博著『脳死の人』の増補決定版(法蔵館)を書店で見つけました。そこに収められた「移植前夜、循環器センターでの講演」は私の言いたいことのほぼすべてを言い尽くしておりますので、あとはこちらをお読みください。旧版をお持ちの方も重ねて買う価値大とお薦めします(なお、この講演録中の「医師」という言葉は、「僧侶」にまるまる置き換え可能かもしれない)。 |
松本 智量 |