先日92才で亡くなられたおばあさんの葬儀がありました。持病があったので
すが、病院に入ることを頑固に拒み続けていたおばあさんだったそうです。
自宅で療養中、のどにものを詰まらせてしまったのです。自宅での死亡とい
うことで死因を特定するため検死をする結果となってしまいました。
葬儀の折にお嫁さんが、しきりに「私がもう少し気を付けて見ていれば、こん
なことにならなかったのに」と悔いていました。その責任を感じて、後悔をして
いるお姿はとても気の毒でありました。
昨今病院で亡くなる方が圧倒的に多い中で、家族の看護のもと、最後まで
家族と日常を送れたということも、とても有り難いすばらしいことではないでしょ
うか。ご本人もそれを希望されていたことでしょう。老い衰えていくことで、最後
は思わぬことになってしまったとしても、それを悔いることは決してないと思い
ました。むしろ、最後まで共に過ごせた‘よき思い出’が、とても大切に思える
日がきっと来ることでしょう。
「老いと病と死」はだれにもやってくる苦悩です。その苦悩を日常のなかで家
族の人とともに共有するということは、残された家族にとっても「老いと病と死」
を考えていくことを教えてくれたはずです。現代社会では、「老いと病と死」は
隔離されたものとなってしまってはいないでしょうか。若くて健康な者だけが日
常を送れる資格があるというのでは、あまりにも寂しすぎる社会になってしまっ
ている気がするのです。
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