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お坊さんと言えば男性?





 私は28歳の女性僧侶です。「お坊さんと言えば男性」、世間ではそう思う方が殆どではないかと思います。確かに私の周りを見渡せばいつも男性ばかり。お坊さんが集まる場所や機会があると男性が圧倒的で、10人いたら女は私1人という状態です。ですから一緒に何かするにしても特別な存在として扱われるのは免れない感があります。そして私自身、特別扱いに満足し、男性に女性として対してもらわないと不満に感じることもあるのです。

 「男女共同参画」。これは一人の人間として、性別に関係なく何事にも取り組めることでしょうか。「共同」を「平等」に置き換えてみます。男女にはそれぞれ違いがありその違いを認め尊重することが「平等」なのだと私は思います。一般に男女平等といえば男性と同じ事を女性もする。またはその逆がいわれるだけで、一人の人間として互いの違いを認め合うところまでは行っていないように思います。「平等」な関係を築くことができているのなら「共同」に自ずとなっているでしょう。

 互いの違いを認め合うこと。この人は女性だからこうなんだ、男性だから、と決めつけてかかるまえに一人の人間として相対すること。それが「共同参画」への初めの一歩になるのではないでしょうか。

 女性でよかったと思うことは沢山あります。それに男性に気を使っていただいたり優遇されている面が多いとも思います。でもそれは「共同」ではなく「してもらっている・してあげている」の関係に思えます。

 「共同」ということは共に同じくと言う言葉そのままに上下の関係ではなく横並びになって手をつないで進んでいきましょうということだと思います。

 まだまだ「男女共同参画」という言葉が絵に描いた餅であることは否めないと思います。でもその餅を本物にするのは私達以外の誰でもありません。誰かがそのうちどうにかしてくれると思って自分の、世間の「男性女性とはこういうものだ」という価値観を見直さずにいれば、現状は変わりません。

 女だから男だからと性を逃げに使わないで、自分自身を見つめ相手を見つめていくこと。男性ならでは女性ならでは出来ることがあり、その人だからこそ出来ること出来ないことがあります。違いって大切だし、尊重しなければいけないことですよね。ただし、それに甘んじないこと。これが一番難しいですね。

石川 千帆  

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