このほど、第一生命の研究機関≪ライフデザイン研究所≫が、住職の意識が社会から乖離(カイリ)していることを示す調査結果を発表しました。
それによると、寺への檀家の期待は、
@先祖供養(53%)A墓や位牌を守る(20%)B何も期待しない(12%)C仏教を説(8%)
一方、住職側は、
@先祖供養(40%)A仏教を説く(20%)B墓や位牌を守る(12%)C相談にのる(11%)
ということです。
あなたの認識は、上の何処に当てはまったでしょうか。
「仏教の歴史は誤解の歴史である」と言った先達がおられます。
仏教は伝来時には「鎮護国家の為の異国の神」として受け入れられました。また寺は幕府の一行政機関として、仏教を説くという目的以外に機能させられたこともありました。
そして今日でも「生きる」ことを説く仏教が「死んでから後のこと」と誤解されています。仏教伝来から1500年近く経ってもこの有様です。
そもそも仏教とは何であるのか。それは『苦しみ』をどう乗り越えていくかに尽きます。
生・老・病・死の四苦。そして、別れ・怨み・欲求…。
より良く生きたいと四苦八苦。しかし歩む方向が分からずに堂々めぐり。
まずはその問題と真正面から向き合い(苦諦)、
その原因と仕組みを見極め(集諦)、
その苦しみが全て取り除かれた状態を深くイメージし(滅諦)、
それに向かって正しい行動を積み上げていく(道諦)。
どうですか。こうして見てみますと、確かに「仏教を生きる指針とする住職の意識」は、「寺への檀家の期待」とはかけ離れていますよね。
それは、檀家の仏教への理解が低いからだということもできます。しかし、それはとりもなおさず住職の教化が足りないということになります。この調査結果を見て、檀家から現時点で期待がされなくても住職はしっかりと仏教を説いていかなければならないことを痛感しました。
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