先日ご門徒の方がご往生されました。ガンという病と歩まれた数年でした。
病を見つけられたのは約3年前。ご主人がご往生された直後のことでした。当初はご主人と死別された悲しみもあって、体の不調で苦しんでおられました。しかし、看護婦をされていた娘さんの思いもあり告知を受けられ、それからは前向きに人生を歩まれていました。
ご主人のご縁もあって、坊守としばしば話をしたり、本を読みながら教えを深く味わっていかれました。
抗ガン剤を受けた後の体調の良い日を見計らって、家族であちらこちらに出かけられたそうです。ご家族にとっても、楽しく有り難いときであったと話してくれました。
そのうち、家族と一緒に京都の本願寺にお参りに行きたいというお話がありました。今回の目的は、ご本山で帰敬式を受式して法名を頂いて来るというということでした。昨年の12月のことです。ご家族も体を気遣い、心配したそうですが、ご本人はイキイキと早朝より参拝され、受式されました。
娘さんも一緒に受式されましたが、「きっと母は自分のいのちをきちんと見つめたのだと思います」とその時を振り返られました。「私は勧められるままに一緒に受式しましたが、母はいのちの終わりを見つめられたからこそ、最後まで前向きに生き抜いたのでしょう。法名をとても喜んでいました」とおっしゃいます。
坊守と会う約束をしていた日に、急に具合が悪くなられ入院されました。翌日、ご家族から連絡がありました。「母が会いたがっているので来ていただけますか。今会わないとと本人が言っているんです」という言葉に、坊守ははやる気持ちと不安を胸に病院へと向かいました。
病室ではご家族と一緒に、すでに一度心停止をしていたそうで、弱った意識の中でその方が待っていてくださいました。坊守と手を握りあい、「出会えてよかったね。お浄土でまた会いましょう」と喜び合ったそうです。そして仏教讃歌「生きる」を家族の方々と一緒に歌いました。
それから数時間後、静かにご往生されました。
出棺の時、娘さんはお母さんに「お浄土で待っててね。私も後から往くからね。ありがとう」と話しかけられました。いのちいっぱいに生きられたお母さんの心が、娘さんにも伝わったのでしょう。
「『法名』とは教えに生きるものの名乗りである。」ということが、この方の生きざまから大きな教えとして響いてきました。法名を名乗り生活している僧侶=私に、深く尊い教えを伝えてくださいました。
病と闘う闘病ではなく、病を持った私をそのままに受け入れていく生き方。悩み、苦しみ、深い絶望にも出逢われたのでしょうが、そのままに生きていかれた姿に、ご家族と一緒に、手を合わせお念仏させていただいています。
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生きる
(仏教讃歌 作詞 中川静村)
生かされて 生きてきた
生かされて 生きている
生かされて 生きていこうと
手をあわす 南無阿弥陀仏
このままの わがいのち
このままの わがこころ
このままに たのみまいらせ
ひたすらに 生きなん今日も
あなかしこ みほとけと
あなかしこ このわれと
結がるる このとうとさに
涙ぐむ いのちの不思議
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遠山 章信 |
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