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仏式葬儀を考える@





   最近、音楽葬や無宗教葬等、葬儀に於いて僧侶を必要としないという事例がちらほらと聞こえてきます。これは「淡々と進む仏事に意義を見いだせない」ということの現れでありましょう。こんな声があります。

   
「仏教というのは本来、生きているものに対して『どう生きるべきか』を説いた教えの筈です。ところが実際は、葬儀や法事の時に死んだ者に向かって意味の分からないお経を延々と読んでいるだけです。仏陀のすばらしい教えを説くことこそ、僧侶に求められる道ではないでしょうか」
《意見公募とアンケートから仏式葬儀の病状を診断する「21世紀の仏教を考える会発行」より要約》

   仏事は“仏徳讃嘆”です。つまり仏の教え〈普遍の真実〉を聞き、それを誉め讃えることです。様々な現実を通して普遍の真実を仰ぎ、諸行無常《時々刻々と変わり行く現実》の中に生かされていた私に気付かされる儀式であった筈です。しかし今のお葬式は、ただのお別れの式となってしまいました。それに於いての仏教は「普通のファッション」「世間並みのやり方」でしかありません。

   「なぜ葬儀に僧侶が来るのか、法名をつけるのか、亡くなった方はどうなるのか。なぜお経を読むのか。漢文読経は意味が分からず、呪文にしか聞こえない」

   これらの問いに僧侶が答えてこなかった結果が、現在の仏事離れを引き起こしているに違いありません。“仏徳讃嘆”は、決して宗派が決めたやり方を機械的にこなしていくということではない筈です。もっと伝えるための良き方法を模索して行かねばなりません。それは現代語訳の読経なのか、仏教讃歌なのか、より良き法話なのか。皆様方の声をお聞かせ下さい。


 

菅原 智之    






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