■「ガード下から拾われた赤ん坊じゃない」???(朝日2001-3-12)
森喜朗首相は12日の参院予算委員会で、森政権が自民党幹部の「五人組」による密室協議
で誕生したことについて「『密室だ』『密室だ』とマスコミが決めつけて、どっかのガード下から拾わ
れてきた赤ん坊のように言われる。私はきちんとした民主主義のルールで選ばれた」と反論した。
質問者の竹村泰子(民主)が、「そういう境遇で生まれざるを得ない子供もいる。不穏当だ」と発
言の撤回を求めると、首相は「好まれてないのに生まれた子供のように言われるのは残念。我
が党できちんとした手続きで(総裁に)選ばれた」と説明。さらに、「ガード下というのが不穏当か
どうかは専門家に聞きたいが、必ずしも不穏当とは思わない。私どもの時代は『ガード下の・・・』
なんていう美空ひばりさんなんかが歌った歌があって、私たちは好んで歌ったことがある」。
これに対して竹村氏は、「美空さんとあなたは立場が違う」と切り捨てた。』
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この首相の言うことを聞いていると、こういう人権問題をいちいち専門家に聞かなければ分から
ないほど、自分の人権感覚が欠落してしまっていることを露呈していることが分かる。
いやむしろ、自分を通してものごとを考えるとか、自分の責任を見つめるという思考方法から、
この人はとても遠いところにあるということを知らされる。
もっとも、この人の場合、人権感覚が欠落しているという言葉は、「不穏当」かもしれない。なぜ
ならばもともと、人権感覚を始めとする様々な感覚が、備わっていないのだからだ。
さらに、「好まれていないのに生まれた子供のように言われるのは残念」という発言がどういう
響きを持って、人の心に傷を作るかという想像力が端からない。
この文章を書いていたら、坊守(真宗寺院男性住職の配偶者のこと)がのぞき込んで、こう言っ
て風呂に行った。
「ガード下で生まれたとしても、また、好まれていなくても、その赤ちゃんには尊いいのちがある
じゃないの。
なんて酷いこと言うの、この人は!!」
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私自身は、本願寺派の寺院住職として同朋研修や人権問題の学習会に参加し、私たちの言葉
に見られる隠された差別意識を学んだ。
そして、自分自身の中に差別意識がないつもりでも、その時に関わった対象によって、自分の
中にある非合理で、偏った見解が、相手を排除したり、見下したりする意識として心の中に顕在
化していくことを知らされた。
これは、慄然とすることだが、言い換えれば、私は私という不完全さを生きている以上、意図し
ない縁に触れるとそのような意識が心の中に顕在化していくのである。しかし、同朋研修や人権
の学びが教えてくれるのは、確かに縁に触れれば私の気づかなかった私の差別性を心の中に
顕在化することになるが、この事実をまったく学ぶことがなかった時には、問題にしえなかった私
自身や社会の中にある差別や人権に対する問題性を自覚的に知らされることになったし、そうい
う形で問題を課題にしうるようになれたのである。
(だから、煩悩があるから差別があっても当然という論法は誤りであること。そして、学びによって
差別は犯罪であることが知らされる。)
ごくごく常識的にみると、問題というものは、それを作り出すものを無くすことで課題の解決が解
消するかに思われているが、こうした人権に関わる問題に対する自他(自分と社会)の中が抱え
ている偏見を常に意識させられ、気づかされ続けるという関わり方が、実は、より積極的な問題
解決の生き方になるということである。
(ただし、これは主体的な意識を重視した生き方という側面のことである。だから、現実問題に対
する刑法的、政治的、経済的など社会に対する有用性や効率性などを鑑みて実践される様々な
側面からの処置の仕方そのものと、関わるものであっても、その方法論は異なるだろう。)
一般的に承認されている、「問題を作り出す原因を無くすことで起こってくる問題を解消する」と
いう方法は、その場で問題解決をなしたかのような錯覚すら生み出すものである。ところが、問
題を私の中にある過ちを問い続けていく生き方に見いだす時、それは継続性と同時に、他者や
社会に対する開かれた営みとして、積極的で発展的なものとなるのであろう。
さらに言えば、こうした生き方が、自己と他者を承認する開かれた生き方となりうるのである。
するとそこには、「ガード下」とか、「好まれずに生まれてきた」という発想で自他双方を排除し、認
めない生き方こそが、不幸な生き方であったと見つめる視点が恵まれる。
こうした自我的な関心を超えた視点から、こうした発言の持つ深い差別性、そしてその故に、人
を選別し価値付け、そのために価値無きものと一方的に決めつけて作り出す、その人に対する
排除する意識の暴力性などに、お互いがようやく気づける身に育てられたことは大変尊いことで
ある。
しかし、この首相の発言のどこがおかしいのかという感性で読む人がいるのも世の事実である。
それは、まるで、都知事のような感性といってもよいだろう。
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この二日前、東京都知事は「暴言」をまき散らしている。そして、その暴言によって傷つく人に心
を寄せる感性を当初から無視し、さらにはその言葉の修辞の効果によって自身の存在を主張し
ようとしているように読みとれる。
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■『「平和慣れは危険」 石原知事、平和の日記念式典で(朝日2001-03-10)
56年前の3月10日未明にあった東京大空襲の犠牲者を追悼する東京都主催の「平和の日記
念式典」が10日、都庁で開かれた。参列した約600人の遺族らを前に、石原慎太郎都知事は「い
くさのない世の中は本当にありがたいと思うが、平和に慣れてしまうことは危険だ」と語り、「例え
ば、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にお米をさしあげることで拉致された日本人が帰ってくる
わけではない。平和を維持するために、もっと努力しないとだめだ」と語った。
式典は今年で11回目。都は1990年、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓い、都条例で
3月10日を「都平和の日」と定めた。
石原知事は、用意された式辞を読み終えたあとで自由に語り出し、「平和に慣れてしまっては、
戦争で亡くなった同胞に申し訳がたたない」などと語った。』
こうした都知事石原の発言に対して、都民や国民は意識や緊張度は極めて低いようである。
この言葉に含まれている、戦争肯定の在り方、戦死者を賛美する思想などを問いにしていない
ように思えた。
実は、昨年の「三国人」発言などの折りに、私自身は東京都に都知事のリコールの仕方を電話
で尋ねた。そのときの都庁の対応によるとこうしてリコールを都に尋ねたり、その問題点を都庁に
主張する人は少なく、逆に意識的に都知事の主張する暴力性を支えようとする人々の賛同の声が
多いということであった。
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自他の存在そのものを大切にしようとする意識が少しずつ成熟していく社会では、次のような
視点が尊ばれていくだろう。
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■『石原都知事の「差別発言」に批判 国連委(朝日2001-03-09)
8日ジュネーブで始まった国連の人種差別撤廃委員会による初めての対日審査で、昨年4月
の石原慎太郎東京都知事による「三国人」発言について「差別発言に日本政府がなんら対応し
ないのはおかしい」という批判が出た。また委員から在日外国人の人権や被差別部落の問題で
注文が相次いだ。
特別報告者のロドリゲス委員(エクアドル)がまず、人種差別思想を広めるような団体を取り締
まる法整備の必要性を強調。日本が人種差別的宣伝、組織、活動の禁止を求めた国際人種
差別撤廃条約第4条の履行を「留保している」とし、これについて考え直すよう求めた。石原発言
については「差別発言を放置しているのは残念だ」と述べた。
外務、法務など4省の日本側代表団が9日に委員からの質問に回答し、審査は終了する。これ
を踏まえ、今月中旬ごろ委員会は日本政府への勧告を含んだ最終見解を採択する。』
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こうした問題点は、いったいどのような意識が底流にあるのだろうか。最後にこれを日の丸
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君が代の押しつけ問題と絡めて考えてみたいと思う。
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■『「君が代で座った、クビだ」教師に高校長「辞表を」広島』(朝日2001-03-10)
広島県立広島皆実(みなみ)高校(広島市南区)で1日にあった卒業式で、君が代斉唱の最
中に男性教諭の1人が着席したままだったことについて、金井亀喜校長が翌日の職員朝礼で
「辞表を書いてもらいたい」と発言したうえ、本人を呼び出して辞表か異動願を提出するよう促
していたことが9日、分かった。男性教諭は、辞表などは提出していない。金井校長は「行き過
ぎた面があったかもしれない」と話している。
関係者や県教委によると、同校の卒業式には卒業生約420人が出席した。君が代斉唱の間、
約70人の教職員の中で男性教諭1人だけが着席したままだった。金井校長は2日朝の職員朝
礼で、教諭の個人名は挙げずに「いい卒業式だったが、残念なことに座った人がいた。公教育を
放棄したことになる。辞表を書いてもらいたい」と話した。その後、男性教諭を校長室に呼び出し
たという。
金井校長の説明では、男性教諭に「辞表を書くつもりはないか」と告げたところ、本人が拒んだ
ため、さらに「異動願を書いてもらいたい」と促した。
一方、男性教諭は着席したままだった理由について「これまで自分は日の丸、君が代を強制
することの問題点を生徒に話してきた。それに反するような行動をとることができなかった」と述べ
たという。
金井校長は「一個人としてはいろいろな考えがあると思うが、(卒業式では)教職員として学習
指導要領にのっとった行動をしてほしかった。ただ、発言内容については行き過ぎた面があった
かもしれない」と話している。
卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱をめぐって、広島県教委は2月に県内の全公立学校へ通
知文を出し、君が代斉唱時に起立しなかった教員名などを記入する「服務状況報告書」の提出を
各校長に求めていた。』
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私は、先に一人一人の存在が認められる生き方や社会というものが、暴力性によって排除され
る状況があることを幾つかの出来事を通して学んだ。そして、それを支える不幸な感性が問題で
あることを論じた。
最後に掲げた「日の丸・君が代」という出来事もまた、こうした不幸な感性が発露した事件の
一つであろうと思う。
日の丸・君が代の問題は、その歴史性から、一人一人の存在を認めないような方向で機能する
ものであることを社会の成員が危惧する人々がいることにある。お互いを認め合う社会形成の象徴
として日の丸や君が代が認知されない以上、強制をされることは、さらに生きにくい社会を容認して
しまうことになるのは、火を見るよりも明らかである。学校という教育現場では、教員だけでなく、
管理職の校長にとっても同じである。
そのように、お互いのいのちを認め合える社会を同朋社会と私たち真宗者は呼んできた。やはり
新聞報道であるが、最後に紹介しておこう。
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■『「日の丸・君が代 押しつけイヤ −抗議へ7色リボンを−」(朝日2001-03-12)
日の丸掲揚・君が代斉唱の押しつけに納得できない−その思いを青いリボンで示そうと、
市民団体の呼びかけに昨春の卒業式、入学式には多くの親や子、教職員が胸につけて出席した。
だが、東京都国立市では、リボンを理由に教職員が処分された。市民団体は、反対を抑え込むた
めの「みせしめ」に使われた反発して、今年の卒業式では7色のリボンをつくって賛同者を募って
いる。
呼びかけたのは、「心の強制を許さない市民ネット」。(中略)主張が書かれているわけではない。
声高に反対を唱えるのでなく、納得できない気持ちを静かに示すものだ。(後略)』
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気づかぬうちに、私は押しつけをしていないだろうか、という問いが生まれたとき、開かれた関係
が生まれる。親鸞聖人は、鎌倉時代、「私はこの道を歩んでいきますが、これを選ぶかどうかは、
あなた方の決断にお任せするしかありません」(『歎異抄』)と、信心という心の強制を決してされな
い方だったということを忘れないようにしたいものだ。 |
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