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バーミヤン破壊に思う





    国連を始め、世界各国の抗議にも関わらず、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力「タリバン」がバーミヤンの大仏を破壊したという。学生時代に石窟寺院に興味を持ち、バーミヤンについても多少調べた経験のある私は、いつか現地に赴き大仏をこの目で見たいという夢を持っていた。今となっては、それも叶わぬこととなった。何ともやりきれない思いである。

    かつてバーミヤンを訪れた
玄奘三蔵は、『大唐西域記』に次のように記している。「梵衍那国は東西二千余里、南北三百余里で、雪山の中にある。(中略)信仰に諄い心はことに隣国より甚だしい。(中略)伽藍は、数十ヵ所、僧徒は数千人で、小乗(部派仏教のこと)の説出世部を学習している。王城の東北の山の阿に立仏の石像の高さ百四、五十尺のものがある。金色にかがやき、宝飾がきらきらしている。」(水谷真成訳 中国古典文学大系22『大唐西域記』より)55bの大仏が宝飾に飾られ金色に輝く姿は、どうであったろうか。まさに筆舌に尽くしがたい美しさであったろう。

    
この大仏造像の伝統が、シルクロードを伝わり、敦煌莫高屈、雲崗石窟、竜門石窟の大仏建立となり、そして、東大寺盧舎那仏につながる。まさにバーミヤンの大仏は、東大寺大仏のルーツでもあった。 

    
ところがその後イスラム教徒の侵攻に遇う。顔が削られ、現在の姿になった時期ははっきりしないが、17世紀ムガール帝国時代にも、砲撃によって、顔面と腕を傷つけられている。まさにバーミヤンの歴史は破壊とともにあった。しかし、今回の仏像破壊がかつての破壊行為と決定的に違う点は、それが国際政治に対する「タリバン」のアピールとして行われたということである。宗教者としての対話以前に政治的な駆け引きが先行してしまった。仏像破壊は、その犠牲である。世界的な文化遺産を護るという視点からだけだなく、イスラム原理主義を生み出したものはなんであったのか、きちんと見極める必要がある。    



艸香 雄道    


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