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ビハーラの現状に思う



   5月17日東京教区の僧侶研修会において、今年の1月朝日新聞で紹介された新潟県の長岡西病院のビハーラ病棟に勤務するビハーラ僧の谷山洋三さんのお話を聞く機会がありました。

   仏教のビハーラ活動は、歴史も浅く、1992年に長岡西病院に22床のビハーラ病棟ができましたが、その後も大きな展開となるに至っていません。

   現在では、いわゆるターミナルケアの病棟は、キリスト教のホスピス、仏教のビハーラそして無宗教の緩和ケア病棟があります。患者の持つ苦痛は多岐にわたり、科学的な医療では対処しきれないスピリチュアルなものがありますから、緩和ケアにおいては宗教の役割は当然大きいはずなのです。その意味で、仏教徒が圧倒的に多い日本では、その多くの割合を仏教のビハーラが受け持つことが理想であると思います。

   また、谷山さんのお話の中で、「ビハーラ病棟は布教の場ではない」という言葉が印象に残りました。宗教を押しつけることはできない、ひたすら聞き、心を開いてくださるのを待つ。そして、患者さんのニードに対応をしていくというあり方は納得のできるものでありました。それはまた東京ビハーラの方々からも良く聞かされていることでした。

   しかし、長岡西病院が超宗派の方針の元にあることが原因なのだとは思いますが、どことなく不消化な部分が残りました。自らの死を受け入れること、また「癒し」という面では納得できるのですが、「救い」や「目覚め」の面でもうひとつ仏教が緩和ケアをする意味が伝わって来なかったような気がします。

   そのような雰囲気を受けてか、会場の参加者から、「ガン患者と家族の語らいの場の中で、浄土真宗のみ教えにより大きな心の転換を遂げられた方に何人かであっています」という発言がありました。浄土真宗の教条的な立場から申し上げるわけではないのですが、浄土真宗独自のビハーラ病棟が欲しいと痛切に感じました。

   「ビハーラ病棟は布教の場ではない」ということはその通りだと思います。しかし、ビハーラ病棟が、患者や家族にとっての求法の場になれたらいいなと思います。この場合、場所すなわち環境が大きくものをいうと思います。ガン患者と家族の語らいの集いが築地本願寺で行われることに意味があるように、浄土真宗の立場を明確にしたビハーラ病棟を持つことが必要だと思います。

   浄土真宗がビハーラ病棟を持ち、医療者側と宗教者が対等の立場でチームを組むチーム医療を実践することにより、今後増加するであろう在宅ケアにも対応できる全国展開のビハーラの素地ができてくるのではないかと思います。

   谷山さんが言っておられましたが、無宗教の緩和ケアは一般医療と同じで、スピリチュアルな部分は無視して身体的苦痛のみを緩和する傾向にあるということです。そのことからも長岡西病院のビハーラ病棟は画期的であり実験的であります。

   現実に戻りますが、ターミナルケアの対象となる患者は莫大です。ガンで亡くなる方だけでも1999年の統計で人口10万人あたり460人余りです。ところがビハーラのベッド数はごくわずかです。ビハーラ病棟を患者や家族が選択することのできる時が果たしてくるのでしょうか。

小林 泰善







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