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小泉首相の靖国神社公式参拝に思う


  8月13日に小泉首相が靖国神社に参拝しました。各方面から提起されていた憲法違反の可能性があるとの指摘に対して、冷静な論議を展開することもなく感情論で参拝を強行されました。

  浄土真宗本願寺派はもちろんのこと、真宗10派による組織である真宗教団連合も、すべての仏教教団の統括的な団体である全日本仏教会も、首相の靖国神社参拝に関しては一貫して反対してまいりました。

  首相は日本固有の戦没者慰霊の形式であることを強調していますが、大日本帝国憲法下の極めて異例な礼拝形式であったのです。それは、各宗教団体が営々と築きあげてきた信仰に基づく礼拝形式を否定するものでありました。そして、当時それを拒否することはできませんでした。国家が神道という宗教を管理し、教育を持って国民に強制したのです。

  時代が時代ですから、浄土真宗をはじめとする各宗教団体は、教義を曲げても現状を追認するよりほかはありませんでした。拒否することは非国民のレッテルを貼られることになったからです。

  日本の敗戦により戦争が終わり、日本国憲法により信教の自由が保障され、神道も国の管理から独立することができました。しかし、明治憲法下の国家神道化政策の形態はそのまま継承され、宗教面での意識の改革は行われなかったと言っても過言ではありません。戦前の神国日本の教育は、人々の心に深く刻まれており、それを払拭するには並大抵の努力では実現し得ず、むしろ靖国神社の問題などについては仏教のあり方を説くことによって孤立化を招くこともあったのです。

  最近では、多くの人々の努力により、仏教の立場から靖国神社国家護持の問題や国家神道の問題を語ることができるようになってきました。しかし、未だに「なんと言っても日本は神国だ」とあからさまに不快感を示される方もあります。そのような中での小泉首相の靖国参拝の感情論を聞いていますと、私たち仏教徒は日本人ではないような論調になってしまいます。信教の自由が憲法で保証されているのに、日本の首相がそのような狭い感覚で物事を判断されていることに、残念な思いがしてなりません。

  靖国神社が、一宗教法人としてどのような活動をなさろうとも、また、それを信じる人がいることにも私たちは異議は唱えません。しかし、国が関与しようとすることについては反対せざるを得ません。そこから生ずる問題は、政治や外交の問題以前に、信教の自由に関わる極めて宗教的な問題であるからです。

小林 泰善 

参考1:

   首相の靖国神社参拝に関するコメント

 本日、首相が靖国神社への参拝を強行されましたことは、まことに悲しむべきことであります。

 私たちはこれまで長年にわたり「首相・閣僚の靖国神社公式参拝中止」を求めて要請を続けてまいりました。

 申すまでもなく靖国神社は、明治政府の国家神道体制のもとで創設され、国家の目的遂行のための戦争を正当化し、その戦争責任を回避する機能を果たしてきた特異な宗教施設であります。首相は就任以来、積極的に参拝する意思を表明されてきましたが、このような性格を有する一宗教法人に公職者たる一国の首相の参拝が許されるはずはありません。

 特に、先の大戦で多くの犠牲者を出した中国・韓国をはじめとするアジア諸国からも、強い危惧が示され、各方面から参拝中止が要請されていることは周知の事実であります。

 そうした中で行われた、このたびの首相による靖国神社参拝は、様々な方々の意見を聞いて「熟慮」し判断したものとはとても認めることはできません。

 私たちは、平和を希求する全人類の願いと努力に心をよせることなく、戦争を可能にする戦前の体制への回帰につながっていく今回の首相の参拝行為に対して、強く遺憾の意を表明するとともに、今後の参拝に関しても引き続き中止を求めていく所存であります。


2001(平成13)年8月13日


                          真宗教団連合
                           理事長 木 越   樹



参考2:
                          2001年8月13日

内閣総理大臣
 小 泉 純一郎 様

                            浄土真宗本願寺派
                             総長 武 野 以 徳

      首相が靖国神社に参拝することなく戦没者への追悼と
        平和への決意を表明することを求める要請


 本日(8月13日)、小泉首相が靖国神社に参拝されたとの報に接しました。いかなる理由で参拝されたとしても、首相の参拝は、信教の自由を保障した私たちの憲法に反する行為であり、私たちの平和への願いを踏みにじるものとして到底許されるものではありません。

 今、求められていることは、誰もが戦争の加害者・被害者を越えて犠牲者の死を悼み、平和への決意を新たにすることです。そのためには、誰もが、宗教・思想・信条を越えて、自由に追悼と決意のために立ち寄ることができる国立の施設の設立と整備が必要です。首相は、このような施設を早急に設立し、平和への願いと決意のもとその施設に赴くべきであります。

 ご承知の通り、そもそも靖国神社は、軍国主義を推進する政府のもとで、戦争に携わり亡くなられた方を英霊としてまつりあげるため、政治的に創設されたものであります。

 その靖国神社に参拝するということは、戦争を美化する卑劣な人権侵害であり、いのちの尊厳を全く無視する戦争という大きな過ちを、肯定し正当化するものであると、私たちは考えます。

 振り返りますと私たちの教団は、宗祖親鸞聖人の教えに背き、仏法の名のもと、戦争を肯定し、積極的に戦争推進に荷担し、戦死者の追悼という形での戦意高揚だけでなく、仏具や兵器の献納など、教団挙げて戦時体制に邁進してきたという過ちを犯してきた歴史をもっています。今、私たちは改めてそのことを深く懺悔すると共に、重ねて「非戦・平和」の仏の願いに生きることを決意するものであります。

 さて、私たちの教団は、先の決意のもと、1981(昭和56)年以来毎年9月18日に、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で全戦没者追悼法要をお勤めしています。この千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、先の戦争で命を失われたすべての人びとの死を悼み、平和への思いを新たにするという国民の願いによって設けられました。この墓苑で勤修する法要は、戦争という痛ましい歴史を振り返り、戦争の犠牲となられたすべての人びとに思いをよせ、再び戦争への道を歩まないということを教団内外に示す法要です。

 いのちと人間の尊厳を訴え、一人ひとりが大切にされる御同朋の社会の実現をめざして、非戦・平和の真の実現を強く願う私たちは、首相の今回の参拝を、見過ごすわけにはまいりません。

 恒久平和の願いが込められた憲法を採択している私たち国民を代表し、その憲法を最も遵守すべき立場にある首相の今回の靖国神社参拝に対して、私たちは、改めて強く抗議すると共に、全ての国民が、宗教・思想・信条を越えて、平和への決意を新たにすることができる施設において、首相が公式に自らの平和への決意を明らかにされることを要請いたします。


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