コラム27  01.10.16



無 明 の 世


 「愚痴」という言葉があります。もともと仏教の言葉で、三毒の煩悩のうちの一つです。意味は、「愚かで、ものの真理に対して無知であること」を言います。まさに、私たち人間の姿を言い当てている言葉です。
 現在でも「愚痴」という言葉はよく使われます。しかし、意味はもっと限定されてしまい、言ってもしかたがないことを言ってなげくことを「愚痴」と言います。最近では「グチル」と言ったりします。
 もともとの仏教の言葉の意味でとらえますと、言葉に出して愚痴ろうが愚痴るまいが、真理を見通すことのできない私たちは、まさに愚痴そのものということであります。

 そのことを、私たちに痛切に知らせてくれるのが人間が起こす戦争です。アメリカ軍などがアフガニスタンのタリバーンに対する空爆を始めて1週間以上経ちます。ニュースを見ていますと、ブッシュ大統領はテロという卑劣な行為に対する正義の闘いと言い、タリバーンは、聖戦(ジハード)と言い続けています。この戦争は物理的な勝敗がついても、本質的な終わりはないだろうという嫌なイメージが頭をめぐります。
 先日、小泉首相は、テレビのニュース番組で視聴者との対話を行いました。その中で、今回のハイジャック・テロと日本の特攻隊との違いを問われて、テロは民間人を巻き添えにした、しかし、日本の特攻隊は、戦闘員同士の闘いで質が違うというような趣旨の答をしていました。人に爆弾を背負わせて突っ込ませるという、人の命の犠牲を厭わない戦法に質の違いがあるのでしょうか。戦士たちに命令した人間の質を問うべきだと思います。
 アメリカは、誤爆により民間人が亡くなったことを発表し遺憾の意を表明しました。亡くなった人の家族の思いは、テロの犠牲者の家族と変わらないのではないでしょうか。謝って終わりでは正義の闘いは成り立ちません。圧倒的な財力と近代的な武力をもってねじ伏せる。そのイメージだけでも、反感や憎しみは広範囲に広がっていくことと思われます。
 タリバーンは、アメリカなどに対してテロを繰り返すと警告しています。死を厭わない若者はまだ大勢いるのだそうです。テロは、現実の問題です。またこれからどのようなテロが行われるかもわかりません。

 まさに戦争は、人類の愚痴の姿が、顕著に表れた状態と言うことができるのではないかと思います。その狭間にあって、戦争反対と言っても、それは非現実的なことなのでしょうか。混沌とした中で、私たちは何をしたらよいのかわかりません。ただ、言っても仕方ないことを繰り返し「グチル」しかないのでしょうか。
 仏教で言うところの「無明」という言葉は、わたしたちの住む世界を的確に言い当てています。

小林 泰善    

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