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2001/12/01

新宮誕生報道に思う


    ジョージ・ハリスンが死亡して同時代を生きた人々にとって大きな喪失感や悲しみを覚えていることでしょう。
 しかし一方で、新宮誕生を巡る報道にも様々な感情をお持ちになられて受け止めている方々がおられるでしょう。


 今回の新宮誕生報道には、念仏を生きるものとして様々なことを考えさせてくださいます。

 今、私たちの社会において天皇制とは一体何なのかとか、皇室典範の問題とか、さらには産む性と社会の中での女性問題とか、きりがありませんが、その切り口は多元的にあります。
しかしながら、報道のあり方を見るとあたかも日本に在住する人々の殆どがそれらの問題意識を持たずに、ただただ新しい生命が産まれたという面のみに関心を持っているかのように扱っているのではないでしょうか。


 私が、親鸞聖人という方がいのちの平等の教えを説いているということを、観念的にではなく、日常的な問題意識を通して考えるきっかけになったのは、今は教学研究所に所属される梯実円先生という方の講義を京都でのある研修会で伺ったことに始まります。
 それほど、鮮やかに覚えているものです。先生は、今年は何年でしょうか?と私たち研修生にお尋ねになりました。それに対する私たちの返答を聞かれた後で、先生は、今年が何年であるかをどのように表記するかということは、その人の生き方にも関わる重要な問題であるのだが、案外このことは意識されていないようですね。
 例えば、西暦と呼んでいるけれども、これはキリスト暦であって、キリスト教の文化の影響を被った社会や文化であることを表明するものであります。また、元号というのも、ある人間が特定の地理的な範囲と時代的範囲を支配し、権力の及ぶ象徴として用いた暦であります。
 そういうことから考えると、私たちアジアに住む仏教徒には仏暦というお釈迦様の涅槃をもとにした暦があります。さらに、私たち凡夫にとって、いつから本当の人間になっていける歴史が始まったかと考えたとき、それは宗祖親鸞聖人が主著『顕浄土真実教行証文類』をお書きあげになられた年、今は立教開宗と呼んでいる年を始まりとする、いわば真宗暦とでも呼ぶ暦を用いることが肝心ということにもなるのであります。
 このような内容の話を研修の冒頭に語ってくださったのですが、今もとても印象深く残っています。
 新宮報道の影に、私たちの意識を気づかぬうちに世俗の権威という末通らぬものに染めていくものがあることを「念仏のみぞまこと」という親鸞聖人の教えを生きる私は見逃さないようにしたいと思うことであります。


 しかし問題はそれだけではありません。この報道のあり方を通して、親鸞聖人の生き方を忘れるような姿勢があるように思われます。実は、本日、組巡回の行事を済ませて帰宅したばかりです。今回は、ヤスクニを通していのちを考える話し合い法座が開催されました。その会のまとめのお話で、教区の相談員が、私が日頃忘れている大切なことをお教え下さいました。
 戦争やヤスクニを容認する戦争体験者の方々も、実は当時の軍国主義の信奉者とならされたという意味では、いのちを落とした犠牲者と同じように犠牲者であり、そのようにさせられた人たちです。彼らの抱える痛みを無視して、彼らを指弾し、排斥することが私たち念仏者の行動ではないはずです。彼らの痛みを我が痛みとして見つめ直すところに御同朋御同行の世界が開かれます。
 新宮誕生はおめでたいことですが、この言葉から、今回の報道がこれから加熱していったとき、私たちは次のような痛みを持った方々と共に、この世を生きているということを忘れてはならないと思いました。
(以下、本願寺新報に1999年度に掲載された拙稿「お寺に行こう」の一部分を抄出いたします。)


 1998年の暮れ、NIE(教育に新聞を)という講義を学んだ大学生の教え子から教えられました。
 「先日、新聞で我が子の写真入りの年賀状に辛い思いをさせられるという旨の投稿を読み、その数日後、何らかの理由で子供が授からなかったり、亡くなったというような方々から同じような思いをしていると多くの反響があったと書かれていました。送り主は、おそらく悪気があってやったことではないのでしょうが、まさに足を踏むものに踏まれる者の痛みは分からないということだと感じさせられました。」
 講義で学んだ視点を通して近況報告するという実地課題の葉書の内容です。見事に仏教の視点を学んでくれていました。
 『阿弥陀経』には、青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光(みんな違って、みんないい)とそれぞれがそれぞれのいのちを輝いて生きる世界である浄土を目指して生きなさいと説かれています。
 つまり、娑婆世間の常識は、一つの価値を善しと決めつけ、それに外れた者を排除したり、生きにくくさせていると教えてくれているのです。
 ところで、先の手紙がそのままで終わっていたら、仏教を学んでも相手を責め、裁くという世間の常識の延長線で終わっていたでしょう。しかし、
 「そして又、今までそのような年賀状を見ても気にとめることもなく、やり過ごしていた私も決して例外ではないと考えさせられました。」
と結んであります。
 この言葉が輝いています。外を向いて人を裁いていた私自身に目が向けられています。正に、自身を照らす鏡として仏教を学んでいます。
 この私は、どうなのだろう、と人ばかり裁いていた自分を見つめる眼差しが仏教を聴聞することを通して育まれてます。そのとき既に、自己中心だった私を気付かせる大きなはたらきに間違いなく出会っていると言えるでしょう。


 今回の報道を通して、実は気付かずに人を傷つけている私なのに、多くの恩恵を頂いて生かされています。 


本多 靜芳    






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