コラム35  02.01.01



維摩経のサンスクリット原典写本見つかる


 新聞報道によれば,維摩(ゆいま)居士が登場することで有名な大乗経典「維摩 経」のサンスクリット語原典が,チベットのポタラ宮殿で発見されたとのこと. 朝日新聞と京都新聞の記事を紹介させていただきます.

石上 和敬



【asahi.com 01.12.14】
維摩経のサンスクリット原典写本見つかる

 中国・ラサチベット・ポタラ宮で見つかった「維摩経」のサンスクリット原典写本

 サンスクリット原典写本(部分を拡大)
=写真はいずれも大正大学提供


 大乗仏教の経典「維摩経(ゆいまぎょう)」の、散逸したとされていたサンスクリット(古代インドの言語)原典の写本が、中国・チベット自治区、ラサのポタラ宮にあるダライ・ラマの経蔵で見つかった。大正大学総合仏教研究所が文献調査をしていて確認、14日発表した。

 写本は、縦6センチ、横30センチのヤシの葉1枚の裏表に7行ずつ書かれ、計79枚あった。「ゴーパーラ王(750〜770年在位)の治世に王の侍従チャーンドーカが書写した」とあることから8世紀の作とみられる。調査に当たった同大学総合佛教研究所の多田孝文副所長らによると、保存状態は極めて良いという。

 見つけたのは99年7月。別のサンスクリット経典にあたっていた所員が一緒に包まれていた経典を調べたところ、維摩経全体の写本と分かった。表題が違っていたため分からなかったらしい。その後、中国政府などと調整、先月末に複写が届いたのを機に公表した。

 「維摩経」は、1世紀ころの作と言われ、在家信徒・維摩詰(ゆいまきつ)が修行者たちを論破する様を文学的に描く。聖徳太子が法華経などと共に「三経義疏」に取り上げるなど、日本でも親しまれてきた。これまでに漢訳やチベット語訳は伝えられてきたが、原典は部分的に引用されてきただけで、研究が進めば漢訳などとの食い違いが明らかになりそうだ。




【京都新聞 01.12.15】
幻の梵語「維摩経」中国・ラサ ポタラ宮
─ 世界初、保存も良く 大正大が発見 ─

 大正大学(東京都豊島区)は十四日、有名な仏教経典の一つで、聖徳太子も注釈を書いた「維摩(ゆいま)経」のサンスクリット語(梵語=ぼんご)の原典を世界で初めて、中国チベット自治区ラサにあるダライ・ラマの故宮ポタラ宮で発見した、と発表した。
 維摩経には三種類の漢訳とチベット訳があるが、その基となる梵語の原典は、断片的な引用が残るだけで、全文は散逸したとみられていた。発見されたのは八世紀に書写された完本。保存状態が極めて良い上、文字が美しく、文法も正確な第一級の資料という。インドでの大乗仏教の成立や中国、日本などへの広がりを考える上で、画期的な発見。
 維摩経は、「一、二世紀ごろインドで成立したとされる大乗経典で、日本では聖徳太子が、その注釈書を著したといわれる。
 同大は一九九九年七月、ダライ・ラマの書斎を調査中、今回の写本を発見した。縦六a、横三十aのヤシの実の表裏に七行ずつ経文を記し、全部で約八十葉。八世紀のインドの王の侍従が写経したと記す奥付があった。
 表紙には経題がなく、経の一章の題があったので、見逃されていたらしい。発見は「偶然だった」(松濤誠達・同大学長)という。挟まっていた布の書き付けによると、ラサの西約五百`のツァム地方の名刹(めいさつ)シャル寺の所蔵だったのが、中国の文化大革命で同寺が破壊された際に北京へ運ばれ、最近ポタラ宮へ持ち込まれたとみられる。




維摩経
 1、2世紀ごろ、インドで成立したとみられる大乗仏教初期の代表的経典。病気になった維摩という居士(在家仏教者)が、文殊菩薩(ぼさつ)らと問答する形式で、仏教の真理「空(くう)」について説く。日本では飛鳥時代、聖徳太子が注釈「維摩経義疏(しょ)」を著したといわれている。


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