02.02.16



バーミヤン石仏復元の話題について


 最近、新聞紙上で、昨年タリバーンによって破壊されてしまったバーミヤンの石仏の復元についての記事が出ていました。文化財の復元ということで日本も協力することになるのでしょうか。しかし、今は、アフガニスタン国民の窮状を救う方が先だという意見もあります。また、作家の池沢夏樹さんは、原爆ドームが負の遺産として意義を持ったように破壊された現在の姿を後世に残すことが大切であると言っています。アフガニスタンの人々が何を求めているのか見定める必要があるのではないかと思います。

 アフガニスタン問題で、私たちがいつも目にしてきたのはバーミヤンの石仏の記事でした。そこでの私たちの関心は、石仏周辺がゲリラの基地になっているとか、地雷源になっていて石仏にも影響が出るのではないかというような話題でした。タリバーンが石仏を破壊したときも、貴重な文化遺産に対してなんということをするのかという意識でありました。私たちの目がアフガニスタンの国民に向いたのは、アメリカ軍の空爆が始まってからでした。もちろんアフガニスタンに関心を持つ、心ある人々はいたのです。しかし、それはごくわずかでした。

 映画「カンダーハル」の監督モフセン・マフマルバフさんは、バーミアンの石仏は「破壊されたのではなく、アフガニスタンの国民の悲劇の壮絶さに恥じ入り力尽きて崩れ落ちたのだ。……貧困と無知と抑圧、そして大量死を伝えるために」と言っています。

 そして、今、アフガニスタンの復興の話題なかで、バーミアンの石仏の復元の話題も取り沙汰されています。バーミヤンの空虚な洞窟の写真を見るとき、アフガニスタンの貧困や抑圧や破壊を象徴しているように見えてきます。

 もし、イスラム教の国にとって仏像はもう必要ないということなら、それはそれで良いと思います。空の洞窟は、池沢夏樹さんが言われるようにアフガニスタンの戦乱の悲劇を象徴する遺産となるでしょう。また、もし、今までそうであったようにアフガニスタンを象徴する世界遺産として、アフガニスタンの人々が復元を希望するのなら、私たちは仏教徒として、よろこんでそのお手伝いをいたします。

 バーミヤンの石仏は玄奘三蔵の時代にも、シルクロードをたどる人々やその地で生きる人々を見つめてきました。仏教の教えは、ひとびとの心に安寧を与え、それが人の世の安寧を築いていくものです。その一つの象徴が破壊され、そのままになることには底知れぬ虚しさを感じます。マフマルバフさんが言われるように、バーミヤンの石仏は恥辱のあまり崩れ落ち、その役目を終えてしまったのでしょうか。

02.2.16  小林 泰善 

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