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河原理子さんの記事を読んで

「女の武器」発言が残した失望の感想



  
 小泉首相の発言を聞いたとき、私はやっぱりね。と思った。
しかもその発言をどう思うか?と女性大臣に聞いたと知りさらにやっぱりね。であった。
やっぱり「女性」を特別視する意識を持つ人だということである。
河原理子さんの記事は、そうだそうだ。と呟きうなずきながら読ませてもらった。

 私の活動範囲もご多分にもれず、男性多数男性優位の世界である。
女性だからといって特別扱いされていると感じる時は多々ある。
私は今までその特別扱いに慣れきって過ごしてきた。結局「女の武器」的意識を心のどこかに持っていたし、それを利用していたのだと思う。

 しかし、「女性」という項目だけで分類するのではなく、「人間」として男女や国籍など様々な差を超えた視点から、1人の「私」として認識してほしい、という思いがある。
 それは様々な人や文化とふれ合う事でより強く感じるようになった。自分なりの感覚はあってしかるべきだが、自分の周りにはつねに他の人がいて、その支え合いで世の中が成り立っているということを忘れてはならない。だから自分の行動や発言で他の人がどう感じるか、どう思うのか、を考えていくことが大切だと思う。

 河原理子さんのように「女の武器」発言への失望という思いがあるのだ!と声を大にして言うべきだと思うし、それに対する反論(があるなら)耳を傾け、互いの思いを知り、自分の枠に凝り固まらない姿勢を持ちたいものだ。

 とかく、男女平等とか男女共同参画などの単語には女性を特別扱いすれば済むといったずれた感覚がつきまとってはいないだろうか?「後から加わった・異質な・少数者」と上下関係や庇護するものとされるものの関係ではなく、横に手をつないでつながっていく関係であることが自然にできる世の中に生きたいものだ。それを理想で終わらせるのではなく、なんでもいいからとにかく自分で実践する事が必要だ。

 政治の世界を反面教師として、私はちいさな一歩から踏み出していこう。
この記事を読んで俄然やる気がわいてきた。
肩に力は入れないで自然体で。まず一歩。

                 いしかわ ちほ



 資料

   「女の武器」発言が残した失望
      河原理子   日曜版編集部

 小泉純一郎首相の[涙は女性の最大の武器」発言、それをめぐる参議院予算委員会でのやりとりに感じた「気持ちの悪さ」が、私のなかで尾を引いている。
 最初の首相発言にあぜんとし、瞬発的に感じた怒り、不快感は、予算委を経て確信に変わった。なぜ不快だったのか考え続けていま、怒りが深い失望に姿を変え、根を張ってきていることを感じる。

 まず、「女の武器」発言。
@外相の仕事上の悔し涙を論ずるには、的はずれ。はぐらかしだった。A「武器」という語に、戦略的涙、つまり、ウソ泣き、女は泣けば済むと思っているという偏見が潜んでいる。森山真弓法相が巧みに答えた、異性に泣かれると弱い、という意味だけではないのだ。だから、小泉首相が予算委で答えたように「みんな何げなくいつでも」言ったりはしない。性差別に詳しい角田由紀子弁護士も、「あんなセリフ聞くの、ずいぶん久しぶり」とあきれていた。
 男女共同参画推進本部長たる首相の発言として不適切だった。しかしここで修正していれば、個人のジェンダー(社会的な性別)意識が問われるだけで済んだかもしれない。首相は予算委でタメージを広げたと私は考える。
 「女性べっ視じゃないですか」と斎藤勁議員(民主)に問われ、川口順子環境相(当時)は「私は、すばらしい男性の前で涙を流して、それは女性の武器だと一度言われてみたいと思っております」と答えた。@と同様に筋違いだし、Aの趣旨からして、仮に泣いている女に「涙は女性の武器だ」という男がいたとして、「すばらしい」男性にはなりえない。
 「政治家・閣僚=男性」サークルの内でしか受けない、賢い人にしては媚びの印象ばかりのこの即答を、「さすがだな、こういう発言をできる女性だから立派に環境大臣を務めておられる」と小泉首相はほめたたえてしまった。
 そこに見えたのは、看板と裏腹に、一瞬にして「異質な音」を切り離し、内輪の「常識」をのみ込む者を仲間にしたいのだと公言する、強者の姿ではなかったか。
 
 作家の吉武輝子さんは「あのやりとり、とっても寂しかったし悔しかった。若い人たちに申し訳ないと思った」。女にこだわって生きてきたのは、女性(後から加わった・異質な・少数者)の視点が、男性多数で構成してきた「社会」の価値観を問い返し、共に生きやすい社会に変えていくことを願ったからと言う。
 男−女にとどまらず、多様な人々の共生を目指す根底がゆさぶられたように私は感じる。しかし、人なの意識は政治の中枢よりは成熱している。まだうまく語れないこの深い失望を、丁寧に言葉にしていこうと今は考えている。

    2002年2月18日 朝日新聞






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