コラム



念仏の教えと企業




 2002年3月号、月刊「大乗」の法味随想に、富山善興寺前飛鳥寛栗住職の「商の妙好人」が掲載されています。
 「伊藤忠」「丸紅」などの大手商社の前身は、近江商人による創業であり、初代は念仏者としての自覚深く、商業を菩薩の心にかなう、仏恩報謝の生き方を事業という形で社会化していたことを指摘されていました。とても興味深く読みました。

 過日、広島に行った折りに、この記事にあるような仏縁を通して設立されたいくつかの会社を知りましたので思いつくままご紹介いたします。

 先ず、有名なのは、各国語に翻訳した「仏教聖典」を世界のホテルに無償配布して、仏教を世界に広めている(財)仏教伝道協会を設立し、そこに収益の一部を充てているミツトヨ製作所です。創始者の沼田恵範氏は、本願寺派の寺院に生まれ、仏法繁盛のためにアメリカで学んだ後、事業を興された方です。仏教伝道協会は、上記の「仏教聖典」を広める他、人類史上の事業ともいえる、「大蔵経」の全英訳を始めるなど、非常に大きな文化事業を進めています。

 次に、広島で始めて創設された銀行は、広島商業銀行です。この銀行は、その収益の一部を広島の闡教部(せんきょうぶ)の基金造成に充てる目的で塚本町に設立されました。

 なお、闡教部とは、1868(明治元)年、大高次郎氏、野村保氏などをリーダーとする浄土真宗の講が、正しい仏の教え(正法)の広報活動(顕揚)や人びとに教えを聞くこと(聞法)を勧める目的として生まれた組織の名称です。『無量寿経』の「光闡道教」の文字に基づいて、1879(明治12)年、主体を(財)闡教社とし、それまで寺子屋として続いてきた小学校の塾部門を光道館と名付けたものです。

 さらに1885(明治18)年には、この事業資金の造成のために彼らは広島県広瀬町に牛乳会社を設立しました。当時としては、進取の着眼でしたが、経営が難しかったために上述の野村保氏が、これを引き受けて以後、中国地方における一大乳製品会社となりました。
 初代は野村保氏で、光道小学校(現光道会館:現在でも真宗の講演会などを続けています)設立資金を調達するため、会社をおこしました。2代目の清次郎氏が、会社名を「チチヤス」(乳と初代の「保」をとって乳保・ちちやす)としたそうです。
 この乳製品会社「チチヤス」も、浄土真宗の正しい教えが広まり(正法流通)、そして念仏の教えが人びとの間に盛んになる(仏法繁盛)ことを願っての起業だったのです。同社の社是は、会社の利潤は念仏繁盛のためにあるということです。
 今でも、毎月、社主の作られたお内仏に、親族、会社の社員が揃って、お勤めの後、招いた布教使の法話を聴聞しているそうです。
 初代創業者保氏は、もと裁判官だったそうですが、念仏を広めるためにはお金が必要ということで酪農会社を経営し始めました。
 先に保氏の作られたお内仏と表現しましたが、文字通り20年という長い年月をかけて、ご自身が欄間を始め、すべて手作りされた、まるで巨大な金庫のような三間四面ほどの大きさのお内仏です。もちろん、ご本尊はご本山からお迎えしたものです。
 このお内仏は今、チチヤス牧場内の影現閣(ようげんかく)という建物の中のあり、そこで毎月法話会が開かれています。ちなみにこの建物(影現閣)の由来は、是山恵覚氏(広島学寮の創始者)が、「無明の大夜をあはれみて…安養世界に影現する」という親鸞聖人の和讃から命名されたとのことです。
 チチヤスの社訓は、
「強く明るく生き抜きます
 つねにわが身をかえりみて感謝のうちにはげみます
 たがいにうやまいたすけあい社会のためにつくします」
だそうです。どこかで聞いたことがありませんか。そうですね、浄土真宗の生活信条と重なる文言です。

 最後に、広島のご門徒であり、広島証券(現東洋証券)を作られた斉藤正雄氏は、伽藍にはお金をださないけれども、人材を育てるということで沢山の学者の学資を援助された方です。
 そのご縁に会われた先生方には、信楽峻麿氏・土井忠雄氏・佐々木徹真氏・石田充之氏などがおられます。
 安芸門徒と僧侶の結びつきの強さや真宗の教えが文化を創って来たパワーを感じます。

                          本多 静芳
資料
『チチヤス百年』
『明教寺小史』
『近代真宗の展開と安芸門徒』
『安芸門徒』中国新聞社



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