ご門徒のおばあさんの7回忌、本堂の後門(裏手で)お明かりをつける準備をしていると堂内からにぎやかな声が聞こえてきました。亡くなられたおばあさんの曾孫たちの声です。子どもたちは20人近くいましたでしょうか、まるで保育園にいるようでした。
準備も整い、お経が始まりました。しかし、時々、浮き立ったような子どもの声が聞こえてきます。私も、心の中で「いつまで持つかな」と心配しながらもうれしい気持ちで読経を続けておりました。
お焼香が始まり、順次正面の焼香盤でお焼香をしていきます。お経も終わるころ、お孫さん夫婦と曾孫たちの数グループの番になりました。子どもたちは騒いだりグズることもなくとても静かに整然と進んでおりますので気になってその様子を横目で見てみました。大体は、家族ごとに一緒に正面へ進みお焼香をします。ところが、お焼香が終わりますと内陣を背にして一列に正座し、参列者に対して丁寧にお辞儀をしているのです。子どもたちが若いお母さんに導かれて正座をし、お辞儀をしていく様子はとても愛らしいものではあります。
おそらく大人たちが参列者に向かってそのような挨拶をしていたのでしょう。私は、注意をすべきかどうか迷いましたが、意を決し、法話の後でお焼香の前後のそのような挨拶は必要のないことであり、むしろ仏様に対して失礼なことをしていることになることをお話しいたしました。
御本尊の前に座るあらたまった気持ちを、子どもたちに伝えることはとても大切なことだと思います。まさに、宗教的な情操教育です。それを、大人たちが支えていくことはとても重要なことであります。
ところが、大人自身がその緊張感から、勘違いの行動をしてしまうこともあるのです。仏事のとき、丁寧にという意識が常に仏さまに向けられていれば間違えることはないと思いますが、時として人の目を意識するあまり仏さまに向けられていた意識がすっぽり抜けて落ちてしまうのです。読経中に、参列者に挨拶をすることは仏事の妨げになっているのです。ましてや、お互いに意識して丁寧な挨拶を交わすようになりますと、仏事はそっちのけで、世間の挨拶すなわち世事をしていることになってしまうのです。
法事の最中に、御本尊にお尻を向けて挨拶をしている者がいる。そしてみながそれに答えて挨拶をしている。その姿を想像してください。とてもおかしな情景ですよね。
小林 泰善
『長念寺テレフォン法話』より
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