国際社会注視の中でイスラエル軍によるパレスチナへの侵攻と占領が続いている。その惨状が連日のように現地NGOから届けられる。これほどまでの惨状を被る理由が、パレスチナ人のどこにあるのか。
確かに自爆テロが続く中、パレスチナ側の非を感じる人も多いと思う。しかし、方やF16戦闘機を国家の軍隊が飛ばして攻撃していて、方や民間人が為す術もなく身体に爆弾を巻き付けている状況に対して、お互い様の戦いなどと受け止めることがはたして適当か。さらには(口には出さぬまでも)この殺戮がイスラム教とユダヤ教キリスト教の独善故と嘲い、自らの平和性優位性を誇る自称仏教者の憂いは結果的に虐殺の是認に他ならないのではないか。
イスラエルの非道をパレスチナ関連ウェブサイトからを紹介する。ただただ、注目していただくことを願う。
ジェニンにいるすべての世界中から来ている民間人は毎日数十名の死傷者を出している爆発の音を聞いている。ブライアンは「この土地には不発弾が散らばっていて、おそろしい状態である」と述べている。我々の知る限り、ここには爆発物処理の専門家はノルウェーの赤十字からの二人がいるに過ぎない。
「これほど始末に終えない状況は見たことがない。ここにはまったく希望がない。」
http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/
3月8日のことでした。
真夜中過ぎのことです。パレスチナの救急車が村に入ってきました。けれども中から出てきたのはイスラエル兵士たちでした。そして村は70台の戦車に囲まれていました。
ここは農場地帯だったので見晴らしがよくほとんどの人は村から逃げることは出来ませんでしたので、家の中に逃げ込みました。だから殺すのにたやすかったのです。
彼らは5つの家を選び入ってきました。何故ならそれらの家は高台があり村が見渡せたからです。彼らは犬も連れていました。家に入ると彼らは男達に服を脱ぐように言いました。そして腕を後ろに縛り目隠しをしました。家族を一つの部屋に入れ二人の兵士は銃を女と子どもに向けていました。戦車は村の全域を占拠していました。そしてイスラエル兵士はモスクに入りスピーカーを使って、外に出てくるように叫びました。武器や銃を使わないとも言いました。アラビア語で言いました。
それで人々は外へ出ました。東から37台の戦車、10台の装甲車、3台のバスが入って来ているのが見えました。次の瞬間、全てが砲撃を始めました。女、子ども、犬、豚もヤギも撃ちました。
ハリードは足を撃たれました。
まだ生きていたので助けようとしました。けれども私の目の前で、戦車が彼を轢いていきました。そして彼の頭や顔や胸はすべて潰れ、道には形も何も残りませんでした。彼を助けようとするものは容赦なく撃たれました。
私は泣き叫びました。
それを止めようとして走ってきた親戚も撃たれて死んでしまいました。
ムハマードは20発も撃たれましたが、まだ息はありました。けれども誰も助けることも病院に連れて行くこともできませんでした。何故なら村の入り口で、救急車も何も入れなかったからです。たくさんの人が怪我をしましたが血が足りなかったのでみんな死んでしまいました。
ただ殺されたのです。私たちは兵士でもないし何でもありません。
ただ来て殺したのです。殺して出ていったのです。捜査などありません。
http://www2.odn.ne.jp/midi/
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