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原発に仏の名前つけないで 
─ 「もんじゅ」の撤回求める ─




 アサヒコム2002.5.26の記事をご紹介致します。

 福井県敦賀市の高速増殖原型炉「もんじゅ」について、市民団体が20日、「文殊菩薩(ぼさつ)の名前を使わないで」と核燃料サイクル開発機構敦賀本部に申し入れた。  奈良市の市民団体「未来なら市民ネット」の浜朝子代表ら4人で、趣旨に賛同した全国各地の仏教関係者約1000人の署名簿も持ち込んだ。
 同行した福井県内の住職は「『もんじゅ』は文殊の知恵で廃炉にした方がよい」と主張。一方、核燃側は「文殊の知恵で、原子力エネルギーを安全に制御したい」。

 高速増殖原型炉「もんじゅ」の名についてコメントさせて頂きたいと思います。「もんじゃ焼」なら知っているが、「もんじゅ」とは変な名前?などと思う方は、案外多いのではないかと思います。
 しかし、この名前、仏教の文殊菩薩の名を頂いて、付けられたというのは有名な話であります。名の由来は、核燃側の主張にもあるように「文殊の知恵で、原子力エネルギーを安全に制御したい」ということでありましょう。
 文殊菩薩を知らない方でも、ことわざに「三人よれば文殊の智慧」という言葉は聞いたことがあるでしょう、これは一人ではとてもかなわないが、三人あつまれば文殊菩薩ほどの良い智慧が浮かんでくるだろうという意味です。まあ、文殊菩薩様に関することは、私の知ったかぶりの説明よりも、インターネットで「文殊菩薩」と検索すれば、豊富に出ておりますので、そちらをご覧下さいませ。

 市民団体が「文殊菩薩(ぼさつ)の名前を使わないで」と核燃料サイクル開発機構敦賀本部に申し入れたとのこと、その趣旨に賛同した仏教関係者1000人の署名簿が提出されたという。
 皆さんは、どのように思われるだろうか。私は、この記事を読むまで、正直言って、それほど、自分の中で関心のある問題ではなかった。しかし、この文章を書いている、その日の朝刊のトップ記事が、同じ原子力関連の記事であったこともあり、無関心ではいられない大きな問題であると感じた。
 市民団体の方の主張される趣旨を読んでいないので、明確な反対理由は分かないが、福井県のご住職が言われているように、私の思いも、基本的に原子力発電には賛成しかねる。そして、仏教徒として、文殊菩薩の名前を、軽軽しく使って欲しくないという思いがある。
 私が、核燃側の方に一番申し上げたいのは、人間の迷いに満ちた浅はかな知恵と、文殊菩薩の優れた智慧とを混同して欲しくないという思いがある。仏教では、人間の「知恵」と仏の「智慧」とは明確に使い分けているのである。
 文殊菩薩の穢れなき智慧は、煩悩によって、その都度その都度、人間の都合により価値観が代わってしまう、人間の浅はかな知恵とは次元が違うものである。人間の知恵は、いつ悪知恵に変るかわからないものであり、人間の言う、安全には、完全なものはない。

 インターネットで、菩薩の説明をされているページに出会った。
 菩薩はインドの言葉でボーディ・サットヴァといい、音写して菩提薩捶となります。これを略して菩薩と呼ばれるのです。ボーディはさとりを意味し、サットヴァはすべてのひとびとと共にを意味します。つまり菩薩とはさとりをひとびとと共に求めているという意味です。
 この「人々と共に求める」という、自ら悟りの世界を求めるだけではなく、人々と共にというところが、人間の知恵を超えた、菩薩の智慧である。人間の思いは、いつでも、自分中心でしかない。

 文殊菩薩が持つ利剣(金剛剣)は、誤った考えをすべて断ち切るものだとされている。菩薩は、常に寄り添い、人間の知恵に警告を発してくれていると解釈するならば、これほど、有り難い名前はないのではないかとも思う。
 特に、高速増殖原型炉は大変危険な施設であり、「もんじゅ」の95年12月の事故は、記憶に新しく、「もんじゅ」の不名誉な名を世に知らしめてしまい、多くの仏教徒は、心が痛んだことだろう。この施設を「もんじゅ」と名づけた方は、真面目な仏教者の方で、文殊菩薩の物事を正しくとらえ、真実を見極めるはたらきを敬い、名付けられたのだと信じたい。
 しかし、悲しいことに、人間であるお互いは、欲望や迷いによって、たびたび間違いを犯してしまう存在である。その姿は、仏の智慧によって知らされ、私たちに、怠りなく人生を歩めよと、常にはたらきかけてくださっている。

 「三人寄れば文殊の智慧という言葉が、近頃は、人が寄れば悪知恵ばかりの心寂しい世の中です」と書いてあったホームページを見て、思わず苦笑いをしてしまった。
 現在の日本は、お互いが「もんじゅ」の本当の意味を考える時期に来ているのではないか、そして、私達の生活とは、切っても切れない、原子力発電のことを勉強してみる、良い機会を文殊菩薩は与えて下さっているのかもしれないと感じた。

伊東 英幸


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