朝日新聞(8月10日)夕刊に
官房長官の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(座長・今井敬新日鉄会長)が、戦没者を追悼し、平和を祈念する国立の施設を建設するよう提案する方向が固まった。年末に答申する。
とありました。もし新しい戦没者追悼施設の建設が具体化するならば、戦後の政府の宗教施策の中でも画期的な出来事と言うことができます。
本来ならば、国の施策により命を落とした人々を追悼するのために、国は戦後すぐにでも、信教の自由・政教分離・戦争放棄の日本国憲法の精神に則った追悼施設を造るべきであったのです。
しかし、「国が戦没者の追悼をする(英霊を祀る)のは当然のこと」との意見には必ず背景に「靖国」(ただし神社そのものというよりも靖国精神とでも言うべきもの)がありました。戦後においても靖国神社が果たしてきた機能は絶大なものであり、昨年の小泉首相の靖国参拝の賛否を問う世論調査でも多くの人々が支持しています。国家神道の残像が戦後50数年経ったにもかかわらず消えることなく働き続けていると言うことができるのではないでしょうか。
ただし、靖国神社は現在では神道の儀礼を行う一宗教法人であり、また過去の靖国神社の果たしてきた役割は現憲法からはかけ離れたものであるため、現憲法下で国が関与することには重大な問題があります。
そのような中、昨年、小泉首相の発案で、新しい施設をつくる動きが始まりました。当時の田中外相も賛成し、福田官房長官の私的諮問機関として懇談会が発足したのです。外圧による苦し紛れの発案ではありましたが、動機は何であっても、政府が動きだしたことには大きな意義があります。
戦没者追悼のための新たな施設の建設については、浄土真宗教団も早くから要望をしています。1969(昭和44)年、靖国神社国家護持法案が国会に上程されることに対して、当時の佐藤栄作自民党総裁あてに浄土真宗本願寺派総長と真宗大谷派宗務総長の連名で提出した要請書(3月19日付)の中には、
「国家および国民が戦没者全般に対して、信教の自由を犯すことなく、厳粛に記念行事を行うことができる別の施設を建設することを要請いたします」
と明記されています。
また最近では、昨年の小泉首相靖国参拝に対する首相宛の要請文(2001年8月13日付)にも靖国神社に代わる施設について要請し、9月18日の千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要の総長挨拶の中でも明言しています。
官房長官の諮問機関としての懇談会では10人の委員の内9人までが新しい施設が必要であるとの立場に立っています。今、私たちが積極的な発言をすることには大きな意義があると考えられます。7月30日にはジャーナリストや弁護士らでつくる「新しい国立追悼施設をつくる会」が小泉首相に「首相の靖国神社公式参拝中止と新しい国立追悼施設の建立を要請する申し入れ書」(下記参照)を提出しています。この会には浄土真宗本願寺派の武野総長も呼びかけ人のひとりとして加わっています。
新しい施設の具体化の中で今後も靖国的な圧力がかかる可能性があります。諮問機関としての懇談会は、年内にも結論を出すとのことです。事態は差し迫っています。
同じ国立の施設でも、広島の平和記念館は、宗教者が正装して入館するのはかまわないが追悼空間での読経や歌などはできないことになったそうです。国立であっても信教の自由を保証しない施設が許されることに危機感を感じます。また、小泉首相自身も懇談会の結論を待たずに春季例大祭にあわせて靖国神社を参拝し、さらに、国立施設ができた場合でも靖国参拝を続ける考えを明らかにするなど、新しい追悼施設を軽視する発言をしています。
現憲法のもとで造られる新しい追悼施設について、有名無実化や第2の靖国化にさせないためにも、信教の自由・政教分離・非戦平和の立場からの世論を構築していく努力をしていかなければなりません。
小林泰善 2002.8.16
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首相の靖国神社「公式参拝」中止と「新しい国立追悼施設」の建立を要請する申し入れ書
二〇〇二年(平成十四年)七月三十日
「新しい国立追悼施設をつくる会」
内閣総理大臣 小泉純一郎殿
私どもは、二○○一年(平成十三年)八月十三日の「終戦記念日」ならびに二○○二年(平成十四年)四月二十一日の「靖国神社例大祭」にあわせて小泉総理大臣が「靖国神社」に参拝したことに反対を表明いたします。
その理由は、総理の行為が「公式参拝」であるか「私的参拝」であるかについては、現在、東京・大阪など各地で行われている「違憲訴訟」の推移と司法の判断を見守る必要がありますが、いやしくも、憲法遵守の義務を負う内閣総理大臣が、在任中二度にわたって物議を醸すような行為を行ったことだけでも、軽率の謗りは免れず、国民の抗議や批判を浴びても仕方のないことだと思います。また「玉串奉奠」をせず、神前に「花」を供え、「二拝二拍手一拝」の神道形式をとらずに参拝したとしても、一九八五年(昭和六十年)八月十五日、当時の中曽根総理が行った「公式参拝」を、一五年ぶりに踏襲し復活したにすぎず、これによって、違憲性を免れるものではありません。
中曽根総理の「公式参拝」に関して起された違憲訴訟三つのうち、一つは合憲とも違憲とも判断されませんでしたが、二つは「違憲の疑い」あるいは「継続すれば違憲」とされ、その司法判断が高裁レベルでは確定しております。
このような状況の中で、小泉総理の二度にわたる靖国参拝が行われたもので、四月二十一日の参拝後、小泉総理は次のような「所感」を発表しております。
「国のために尊い犠牲となつた方々に対する追悼の対象として、長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国菌神社に参拝して、追悼の誠を捧げることは自然なことであると考えます」
しかしながら、この事実認識は間違っていると言わざるを得ません。
靖国神社は、過去の一時期、国家神道体制の下で、事実上、戦没者追悼の中心的施設とされたこともありますが、戦前・戦中に靖国神社が担った思想や役割りは、現憲法の諸原則とは相入れないものであることは明らかです。
このような特異な歴史と役割りを担った靖国神社を、戦前と同じように、戦没者追悼の中心的施設であるとすることには無理があり、又、広く国民的な合意を得ることができないばかりでなく、憲法上、許されるものでもありません。
戦後のわが国の憲法は、「信教の自由」「政教分離」を国民の基本的人権の根幹として保障しており、例えば、キリスト者はキリスト教、仏教者は仏教と、それぞれ戦没者及び戦没者の遺族の信仰信条によって、追悼行為は行われております。
勿論、信仰によらず、心の中で故人を偲んでいる方もおられます。
しかも、靖国神社にまつられているのは、戦没者のうち軍人・軍属などの戦没者に限られており、広島、長崎に投下された原爆による戦没者や東京・大阪などの空爆による戦没者、悲惨な地上戦が行われた沖縄の戦没者などは、その対象とされておりません。かかる事情を踏まえれば、靖国神社を「追悼の中心の施設」であると位置づけることは、適当ではありません。
私どもは、過去において戦争のために尊い生命を失った、全ての戦没者に対して、衷心より哀悼の意を表するものです。そして、国民一人一人が、それぞれの信仰信条によって、厳かに戦没者を追悼し、非戦平和に向かって不断の努力をすることこそが、戦没者に報いる道であると確信いたしております。
また、これまで国が関わった戦争・事変において、国の内外に多くの戦没者を出したのですから、これを遺憾とし、国民を代表する立場にある者が、公式に、これらの戦没者に対して追悼の意を表し、あわせて非戦平和を誓うことも重要なことであると思います。
以上のような意味において.昨年十二月、福田官房長官の私的諮問機関として「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える会」が設置され、月一回程度の会合を持ち、精力的に議論されていることに関しては、重大な関心を持っています。
私たちは、新しい国立の追悼施設は、次のような諸点を厳守して設立されるべきものと考えます。
一、追悼の対象は、戦争によって亡くなった特定の戦没者だけを区別して取り扱うのではなく、すべての戦没者を追悼し、併せて、二度と同じ惨禍をくりかえさないために、非戦平和を誓う象徴的な場とする。
二、追悼対象とする戦没者としては、過去に我が国が関わった戦争(我が国が近代国家となった明治維新以降から先の第二次世界大戦までの戦争に限定し,新たな戦争の受け皿にしないものとする)のすべての戦没者とする。
三、特定の宗教性をもたないで、信教の自由・政教分離など憲法の原則が貫かれたものとする。
四、すべての個人・団体が、何時でも、それぞれの思想・信条・信仰に基づき、その信奉する方式で追悼できるよう、公平に開放されるべきものとする。
従って、新しい国立の追悼施設建立の趣旨に鑑み、靖国神社へのいわゆる公式参拝は、これを行わないこととします。ちなみに、このことが、靖国神社を心の依り所とする崇敬者の信教の自由に基づく信仰を否定するものでないことは、言うまでもありません。
呼びかけ人 (五十音順)
久保井一匡(弁護士・前日本弁護士連合会 会長)
三枝 成彰(作曲家)
笹森 清(全日本労働組合総連合会 会長)
眞田 芳憲(中央大学法学部教授)
下村 満子(ジヤーナリスト)
武野 以徳(浄土真宗本願寺派 総長)
寺崎 修(慶応義塾大学法学部教授)
ひろ さちや(宗教評論家)
松原 通雄(立正佼成会外務部長)
武者小路 公秀(中部高等学術研究所所長・元国連大学副学長)
湯川 れい子(音楽評論家)
鷲尾 悦也(全国労働者共済生活協同組合連合会 理事長)
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