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朝日新聞
「志あれば、なれる お坊さんに、なる」
を読んで

 2002年10月7日付、朝日新聞夕刊に「志あれば、なれる お坊さんに、なる」という記事があった。
 本派中央仏教学院通信教育をはじめ、浄土宗の仏教大学の通信教育、岐阜市光明寺住職が主催する超宗派の「東京国際仏教塾」が紹介されている。
 これらの講座を終了すると、一定の講習や試験が免除され、得度習礼を受けることが出来る(僧侶になれる)ということが記事にされている。

    ○僧侶数の増はよいこと

 僧侶の数が増えることは、教えを広める方が増えると言うことなので結構なことだが、僧侶になろうとしている方の中には、動機や目的が不純な方がいるのも否めない。
 記事中で浄土宗宗務庁総長公室の方がおっしゃっていた「僧侶になることで、教えを広めなくてはならない義務が増える。
 自分の思い描く生活と、僧侶の仕事が一致するのかどうか、しっかり考えてから行動を起こしてほしい」の言葉が妙に的を射ていると思う。
 本願寺派の中央仏教学院通信教育は「現在では受講生884人のうち651人が寺族以外の一般の学生で、平均年齢は52歳。」と記事中にある。
 このうちどのくらいの方が僧侶になるのかわからないが、毎年僧侶になる方がいることは間違いないことだ。
 それに加えて東京築地別院にある東京仏教学院も数は少ないが卒業生から僧侶が毎年生まれている。

    ○受け皿の不備〜新しい活力を有効に

 問題は僧侶になった後の受け皿が不十分なことである。特に定職を辞して一般家庭から得度された方にとっては、その後の僧侶としての活躍の場が極めて少ないことである。
 宗派としては、せっかく毎年新しく僧侶になる方が沢山いるのだから、その方々が活躍できるシステム作りも宗派にとって大切なことになってくるはずである。新しい活力を有効利用し今まで手が回らなかった分野に注ぎ込むだけで大きな動きになってくるはずである。
 また個人としては、所属寺の僧侶の一員として、今まで住職では手が回らなかった、例えば社会活動やボランティア等に積極的に取り組んでいくことも大切なことである。

    ○受け皿無き故に

 実際のところ、一般的な寺院では特別な事業をしていない限り、住職ともう一人ぐらいの僧侶がいれば充分に寺院活動は成り立つので、所属寺で僧侶として法務に就くことはなかなか無い。
 まして僧侶で生計を立てようなんて勘違いしている方は営利目的の強い寺院の法務員になるか、葬儀関係業者と提携して法務だけをを勤める所謂「マンション坊主」になるか、または自宅を宗派に無届けで寺院にして活動するなどが考えられる。
 もちろんこれらは法律上何ら問題なく、特に「寺院の法務員になること」自体は全く問題ない。
 しかし、こういう僧侶や寺院は、宗派教区組とつながりが無い故に、宗派内の情報や連絡が届かないため、活動如何によってはワンマンプレーになり宗派のイメージダウンにつながることが往々にしてある。

    ○衆徒(所属僧侶)の現住所の把握を

 所属寺と自宅が近ければ、所属寺の住職に指導を受けることがあろうが、遠隔地になると、所属寺住職の指導を受けることもなく、ともすると勝手に僧侶の道を歩んでしまうことになる。
 ましてや衆徒がどこに住んで何をやっているのかわからないご寺院もあると聞く。住職には衆徒の管理責任がある。日本中、世界中衆徒がどこにいて何をしているか把握し、必要があれば指導してゆくべきである。

    ○最後に僧侶になろうと志す方へ

 浄土真宗の僧侶には法類と呼ばれるような強い師弟関係はないが、あえて言うなら、良い師匠を持つこと。
 範とすべき住職、良い住職に指導を受けるということ、僧侶の本分を守ることが大切。
 これらがなく勝手に勉強して勝手に解釈していると、僧侶の本分を見失った自分勝手な僧侶になってしまう。

白川 淳敬 2002.10.16


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