最近のニュース 02.12.01



ジーコ帰国に思う
〔親が亡くなったので仕事を休んだジーコ監督・
親が亡くなっても絶対仕事を休まない
テレビキャスター〕
  11月20日サッカー日本代表はアルゼンチン代表と試合がありました。日本代表のジーコ監督はお母様がなくなられたのでアルゼンチン戦を休んでブラジルに帰国しました。この試合はジーコ監督に代わって山本昌邦代表コーチが監督代行となりましたが、残念ながら0−2で負けてしまいました。

 翌日、ある放送局の番組などでは、サッカー日本代表のジーコ監督が、お母様のご不幸により、日本にとっては大切なアルゼンチン戦を休んでブラジルに帰った、と言うことについて意見交換が出演者間でされ、放映されていました。

 若いキャスターは「日本人監督だったら、こういうときに試合に出ない事があるのでしょうか。何か良いものを見た」と言うような意味の発言をしました。(記憶なので詳細の一字一句は違うと思いますが)しかし、メインキャスターは、「俺だったら親が死んでも絶対に仕事を休まない」と言い、コメンテーターの出演者は、「私の親が死んだとき私はテレビに出ていた」という、実体験を誇らしげに語り、司会者は、「価値観の違いでしょうか」、とかいうような意味の言葉を発して、この話題についてのキャッチボールが終わったように覚えています。必ずしも、仕事を優先し、葬儀に出席しないということが親の命を軽視したことにはならないとは思いますが、このやりとりが気になって納得いきませんでした。
 こういう仕事最優先主義、家庭より会社を大事にすることが美徳とする風潮が社会の中にあり、そのガンバリズムのお陰で今の日本が出来上がってきたのは間違いないかもしれませんが、副産物として心の問題がなおざりにされ、命の価値がどんどん下がり軽視されるようになってきたのではないかと考える少し残念に思います。

 一方、ジーコ監督は、日本中のサッカーファンが注目する日本代表の国際Aマッチの監督指揮より、お母様が亡くなられたということの方が大切、何よりも大切なのは親の命、人の命だ。ということを日本中にアピールしてくれたと思います。多くのサッカーファンも、今回のジーコさんのブラジル帰国を非難する人はいないと思います。

 このキャスター達の傍若無人な発言をきいて、これを正しい考え方として受け取ってしまう人もいると思うと、この発言によって、日本人の命についての考え方がますます、貧しいものになっていく事と危惧します。

 こんな発言がテレビや報道機関、巷で当たり前のようにまかり通るようになったら、日本も終わりです。本来、命というものは何ものにも代えられない、比べられないものであるはずです。
 しかし今、日本人は命に評価をつけ、値段をつけ、いろいろなものと比べるようになり、命より大切なものがあると言うことを公然と言うようになってしまいました。

 少なくとも我々はこういう考えに警鐘を鳴らし続けたいと思います。

白川淳敬   

    



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