長崎で起きた幼稚園児殺害事件は、 12歳の中学1年生の犯行でありました。 少年による幼児殺害というニュース。日本全国に衝撃が走りました。この報道がなされる直前には、沖縄の中学生による集団いじめ殺人事件がありました。
少年による凶悪犯罪は、私たちの心を暗くします。 神戸の少年、酒鬼薔薇は14歳でした。 そのとき少年法改正の論議が巻き起こり、刑法で処罰できる年齢が14歳に引き下げられました。その論議がついこの間のこととであったのに、この度の12歳の少年による犯行です。
殺害された種元駿ちゃんの遺族の談話が警察から発表されました。 その中の「犯人が中学生ということで刑事事件として罪が科せられないということは頭の中ではわかっていますが、心が煮えくりかえり、中学生といえども極刑に処してもらいたい心境です」という言葉が重く私たちの心に迫ってきます。 遺族の方々のやり場のない怒りは想像するに余りあります。
やり場のない怒りは、当然のことと思います。 それは、精神的にも肉体的にも未完成な少年の犯罪であるからこそであります。 遺族の感情を受けてのこととは思いますが、11日に、鴻池大臣は社会の報復感情を煽る発言を繰り返しました。この報道を見て、唖然とし、暗澹たる気持ちになりました。
精神的にも肉体的にも未完成な少年が、このような重大な犯罪を犯してしまったということは、社会にも政治にも責任があるということだと思います。 少年法は、触法少年を罰するための法律というよりも、少年が人間として未完成であることから、国が保護し責任を持って善導する責務を負う事を宣言している法律です。
当然のことながら、国や社会には、言い換えるならば私たち大人には、少年たちが健全に成長するための環境を整える責務があるということです。
少年法を改正したからといって、少年犯罪がなくなるとは思えませんし、報復感情を煽ることが被害者遺族への慰めとなることでもないと思います。
子どもは、無邪気という言葉があるように、大人がハッとするような暴力的な言葉を発したり、大人にはできないわがままを行使することができます。 しかし、成長の過程で人とのつきあい方や社会のルールを身につけながら大人になっていくのです。我が身を振り返ってもそのことは明らかです。 大人になるということは、肉体の成長だけでなく知恵を身につけて精神的なバランスを整えていくことです。
今、子どもたちの生活する社会環境において、成長の過程で必須のなにかが欠けてしまっているのかもしれません。 今回の長崎や沖縄の事件から、私たちは、社会が子どもたちの精神的な発育にふさわしい環境を整えているのかどうかを真剣に学んでいかなければならないことと思います。
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小林 泰善
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