朝日新聞・2003年10月1日文化欄に下のような記事がありました。
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こころの風景 死生観の変化
富岡 多恵子(作家)
良寛が七十一歳の時、新潟の三条大地震があって、死者は千数百人、家屋の倒壊や焼失も大な数であったといわれる。
良寛はあちこちの知り合いに地震見舞いを出したが、その一通に、よく引用される次の文句がある…「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これは災難ののがるる妙法にて候」。
この場合の「災難」とは地震という天災によるものだから、そのようにいうこともできたのであろう。昔なら合戦、今なら戦争やテロという「災難」には良寛といえども右のようにいい切れたかどうかはわからない。
ただし、今の時代には、たとえいかなる天災であっても、良寛の書いたような文句を口にすれば社会的制裁を受けることは必定で、たとえ私的な見舞状であっても、こんなことを書いたら、その相手とは五十年戦争になる。
良寛が出家者だから見舞状に先のような文句を書くことができたのだろうか。といっても、出家者であれば誰でもが書けた文句ではないので、おそらく良寛というひとの死生観がそれを書かしめ、受けとったひとがその死生観を共有していたればこそ、それが見舞状たりえたのである。
いずれにしても、今の時代には、こういう虚辞ぬきのわかりやすい言葉で生死についてものをいってくれるひとはあまりいない。そのように思ってしまうのは、覚めた者の言葉が突きささるには、当節の人間がかわすなだめ合いの言葉の層が柔らかすぎる、ということなのであろう。
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《感想を述べさせていただきます》
'89年7月の伊豆沖地震で、拙寺の墓地のほとんどが河原のように崩壊し、本堂と庫裡には200名ほどの地域の方が避難しているとき、大学時代の友人から…「災難に逢ふ時節には、、、、」と書かれたお見舞状をもらいました。
以前この友人は、島根の集中豪雨で本堂が全壊し、その苦労で父君を亡くしており、彼は見舞いに来れない思いをこの手紙に託してくれたのでしょう。「ぼくも、この言葉に救われました」とありました。
私は、復旧の苦労の中で何度となく「有り難い言葉をいただいた」と感じ、事実を事実として受け取る以外救いはない、と思いました。
しかし、父が「この言葉をお寺の掲示板に書かせてもらおう」と言ったとき、私は寺に避難している人や、お墓が崩れた人のことを考えると実行できませんでした。
後に、そう考えてしまった自分と、自分が救われた言葉を共有できなかったことに後悔が残りました。彼はあえて送ってくれたのに、、、。
当時を振り返り、「当節の人間がかわすなだめ合いの言葉の層が柔らかすぎる」というところが、そんな自分のことのように思えました。
さて、剣道の姿勢や、言葉や行いのそなえを「かまえ」と言いますが、生き方にも「かまえ」が必要だと思います。「死ぬる時節には死ぬがよく候」と見舞い状を送ることが出来る生き方の「かまえ」。そして、受け取る側の「かまえ」です。
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伊東・宝専寺住職 遠山博文(2003.10.01)
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