最近のニュース 04.01.16 



「恐ろしい、むごたらしい、
だから、反戦・非戦」


by 本多静芳




 本願寺派では、2003(平成15)年12月9日に内閣総理大臣小泉純一郎様宛に、浄土真宗本願寺派総長不二川公勝が、「自衛隊のイラク派遣基本計画の即時撤回を求めます」という声明と「自衛隊のイラク派遣の即時中止を求めます」という声明を出しました。 http://www.hongwanji.or.jp/

 特に、後の声明の中では、「浄土真宗本願寺派はこの決定に対し、断固反対するとともに、即刻自衛隊のイラク派遣を中止し、日本国憲法の精神に基づき、あくまでも武力行使を伴わない平和的外交努力によって問題を解決すべきであると考えます」と示し、「武力をもって武力に応ずることは暴力の再生産をもたらすのみであり、怨みが怨みを生むことは、歴史が教える事実であります」といい、「浄土真宗本願寺派では、宗祖親鸞聖人の「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願われたおこころを受け継ぎ、テロや戦争によって人間同士が互いにいのちを奪い合う行為を恥じ、一人ひとりのいのちの尊厳が大切にされる御同朋の社会をめざして、非戦・平和に向けたさまざまな取り組みを進めてまいりました。私たちは、自衛隊のイラク派遣決定に対し抗議するとともに、その即時中止と武力行使を伴わない平和的解決をされますことを強く要請いたします」と結んでいます。

 自衛隊の派遣に反対する様々な主張の中には、将来的に国益を損なうものであるというものがあります。とても客観的で冷静で立派な意見で、返って冷たい印象を持ちます。

 お念仏の教えに合った私が何故、自衛隊イラク派遣を反対するのでしょうか。勿論、そうした自分や自国にとって利益を損なうものであるという自己中心的な思いから反戦を考える気持ちがないのかと突き詰められれば否定できません。
 しかし、そうした私の中に、同じいのちあるもの同士が殺し合いや傷つけ合いを通して問題解決をするような戦争だけは恐ろしい、怖い、嫌だ、どうしても避けたいといういのちの深い叫び、願いを見いだしたからだと思います。

 アメリカの軍関係者が、あるメディアで次のようなことを言っていたそうです。「メディアは、『アメリカ兵2人死亡3人負傷』という風に伝える。だが『負傷』という言葉からは、1人の兵士が、現実的に一本の足や両方の手や、目や、内臓を失うということが伝わらない」。この事実が私には恐ろしいのです。

 宗教によっては、神が「汝、殺人をするなかれ」という戒によって、不戦の立場をとり、兵役を拒否するが、輸送や衛生の軍務につくといいます。戦争が恐ろしい、怖い、嫌だという臆病ではないから、「良心的兵役拒否」というそうですが、念仏者にはどうもなじめません。

 いのちを殺し合う手段で問題を解決をするなんて、怖いから、余りにも酷いから、悲惨だから、悲しいから、だから私は戦争につながる決定に反対しますという方が、「良心的」なのではないかと思います。

 権力を握った一部の人間の非人間的な決定の力(これを鬼神、外道といいます)による戦争、つまり、「法に背き、義に違す」るものへの悲しさ、恐ろしさが念仏者の反戦・非戦の座りどころだと思います。