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コラム 04.02.01 



オウム事件に学ぶこと


   1月23日付け朝日新聞(朝刊)に  「三者三論ーオウム事件に学ぶこと」と題する記事が載っていた。
 2月27日にオウム真理教の松本智津夫被告に一審判決が言い渡されるが、これを前に改めてオウム事件を振り返り、事件が私たちの社会に何を残し、何を問うているのかを、三人の識者がメディア・宗教とテロ・被害者支援の各々の視点から論じたものであった。
 これを読んで触発された訳でもないが、一宗教者としての視点からオウム事件を振り返り、思うところを述べてみたい。

 先ず、オウム事件以降、「宗教はコワイ」というイメージが広がってしまい、人々の宗教離れを加速させてしまったことが大きな問題として挙げられる。
 もっと厳密にいえば「宗教離れ」というよりも「宗教団体(教団)離れ」といった方が良いかもしれない。
 仏教やキリスト教などの教えそのものや、お釈迦さまや親鸞聖人といった教祖・宗祖がたには興味を持つが、だからといってその教えを信仰している教団には入りたくない、関係を持ちたくないという人が増えているのである。

 また、これにも関連することなのだが、既存の伝統宗教団体が、なぜオウムに入信した人々の受け皿になりえなかったのか、ということである。
 オウムの中には、様々な悩みを抱え、人生の意味や生きるよりどころを求めて入信した人も少なくなかったはずである。
 こうした人々の悩みを受けとめ支えとなるべき伝統宗教団体および我々宗教者は、一体何をしていたのか、いや今現在も何をしているのか大いに反省させられるところである。

 あるオウム信者が「寺院は風景の一部にすぎなかった」と語ったと聞いたことがあるが、寺院の建物は見えていても、そこで活動している宗教者の姿が見えない、いや活動そのものが信徒を対象とした内向きのもので、社会や一般市民へ開かれたものといなっていないことを痛烈に批判している。
 我々宗教者一人一人がこの批判を真摯に受けとめ、自らのありようを見つめ直していくことが必要である。

 そして最後に、第二のオウム事件を防止するためにも、宗教者は他の宗教団体の活動にも関心を払い、言うべき事はきちんと言うようにすることである。
 ともすると、宗教者は各々の信仰を大切にするあまり、他の宗教団体のことには無関心であったり、口出ししない場合が多い。
 しかし、明らかにおかしい活動(違法行為や多額の寄付金を強制するなど)や反社会的な教え(自らの信仰のためには他の人権を侵しても良いなど)を流布している場合には、きちんと批判するべきである。もちろん、「信教の自由」を大切にし、「批判のための批判」をしてはならないのは当然であるが。

 また、その反対に宗教者や宗教団体が批判を受けた場合には、その批判にきちんと耳を傾け、謙虚に自らを省みることが必要である。
 間違っても、批判に過敏に反応したり、批判した相手を攻撃するようなことがあってはなならない。



                            柘植 芳秀