お釈迦様が入滅された日を涅槃会として
お勤めされるご法要ですが、浄土真宗では馴染みの薄いご法要と言えるでしょう。私もカナダに開教使として駐在して行事予定の中に、Nirvana
Day (February 15) Buddha's entering Nirvana の項を見て、初めて涅槃会をお勤めしました。
浄土真宗では、仏教徒というよりは寧ろ門徒という意識の方が強いといえそうです。お釈迦様の成道会や花祭りなどよりも、報恩講や降誕会、お盆や永代経法要などに優位性が見られます。仏教徒=お釈迦様、クリスチャン=キリストという宗教体系の中では、宗派をこえてクリスマスや復活祭などが年中行事として定着しているキリスト教に大きく水を空けられているようで、世界中の仏教徒がお釈迦様のご誕生やご命日を同時にお迎えできるような働きかけが何処かで取れないものだろうか、と淋しく感じたものです。
確かに、末法を迎えて久しい私たちが、何人も等しく成仏できる教えは、親鸞聖人のご和讃にも、
釈迦の教法おほけれど
天親菩薩はねんごろに
煩悩成就のわれらには
弥陀の弘誓をすすめしむ
釈迦の教法ましませど
修すべき有情のなきゆえに
さとりうるもの末法に
一人もあらじとときたもふ
と述べられてあるように唯一浄土真宗しかないのですが、仏教=浄土真宗という社会認識はなされていないのが現実です。最近は特に若い世代に仏教が求められ、静かなブームにすらなっているという話を聞きました。これまで私たちが口にしてきた「他宗はそうですが、真宗では」から、「真宗ではそうですが、仏教徒として、」へ、努めてその意識を転ずることも大事ではないでしょうか。
念仏者が世界の仏教徒と歩みを共にする姿勢を何らかの形で表現すべきではないかとの素朴な思いとともに迎えた涅槃会でした。
そして、来るべき親鸞聖人のご遠忌にはせめて真宗各派がそろって「世の中安穏なれ、仏教ひろまれかし」との願いのもと、広く社会に向かってのご法要を持つとか、日本の仏教各派が聖徳太子のもとに集結する機会を作るとか、世界仏教者大会を4年に一度オリンピックの年にインドで開催するとか、そんなリーダーシップを本願寺が持つような時代がいつか来ないものでしょうか…。
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逗子・奏庵 谷山憲丸
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