2月13日付けの朝日新聞国際面に、ロシアのヨーロッパ圏に位置するカルムイキア共和国で、ソ連時代に禁じられていた仏教が再興されて、民族の精神的支柱がよみがえったとの記事が出ていました。
カルムイクとは、「(異教徒で)とどまった者」との意味があり、帝政ロシア時代にイスラム教の北上への防波堤として、この地での仏教の普及を容認していたとの経緯があります。民族としては中国の新疆やモンゴルから移住してきた人々です。ただし、その生活は安住というにはほど遠く、イスラム教やロシア正教の改宗圧力により18世紀には13万人の人々が一斉に故郷の新疆に引き上げたということです。仏教文化はその後残った人々により伝えられたのですが、ソ連時代の信教禁止により寺院はすべて破壊されシベリアに強制移住をさせられるなど迫害を受け続けてきた人々です。
そのような忍従の日々を経て、1990年代になって仏教が再び公認され着実に僧侶も増えているということです。
カルムイキア共和国はカスピ海の北西に位置し、現在では仏教の離れ小島といっても良いと思います。仏教がカルムイク人にとってどのような意味を持っていたのか、迫害に絶えて営々と伝えられてきたその信仰は、記事から読み取れる民族文化という側面だけでは計り知れないような大きな意味を持っていたのではないかと思われてなりません。
イスラム教北上の防波堤の役割は、仏教の寛容の精神が、キリスト教とイスラム教の戦いの緩衝材になったということだと思われます。不殺生そして広大な慈悲を説く仏教は、その地域の人々の精神的支えであったのです。シルクロードの文物の交流を支えた西域の仏教諸国の役割にも共通するものを感じます。キリスト教やイスラム教、そして共産主義の圧力に翻弄されながらも、真実の教えとして、人々の心に営々と生きてきたことにもっと注目しなければならないと思います。
仏教に、「柔和忍辱心(にゅうわにんにくしん)」ということばがあります。温順で怒らず耐え忍ぶ心です。新聞記事を読んで、このことばを思い出しました。
新聞記事では、仏教を、民族文化として表層的にしか捉えておらず、また僧侶をシャーマン的な存在としてしか表現されておりませんでした。是非とも、カルムイキアの人々にとって仏教の精神がどのように生きてきたのかを知りたいと思います。さらに踏み込んだ第2弾の記事を期待したいと思います。
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小林泰善
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