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04.04.16 



「日の丸・君が代問題」
〜その経緯・問題点と念仏者の課題〜


 
 はじめに

 私は、戦後世代。昭和32年生まれと言ったり、1957年生まれと使い分けている。
 戦中の国家主義教育は受けなかったものの、戦後の経済主義讃仰の社会と民主主義教育、そして団塊の世代の最後を身近に見ていたので、コーラやディズニーランドが好きだった時期と重なるように反米・反体制感情が身についた。

 これも時代の影響だろうか。人は、全て環境の影響、つまり縁によって様々な思いこみを形成していく。
 しかし、そうして形成された我が身の判断が、念仏の教えに出遇うことで、何かが縁となって今まで気づかなかった新たな気づきや目覚めが恵まれると思える。


 小渕発言と政府基本姿勢と都知事石原の横暴

 1999年、故小渕恵三元首相は、「日の丸・君が代」法制化審議で、「国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません」(6月29日、衆院本会議)と答弁していた。
 また、文部科学省の学習指導要領には、「日の丸」「君が代」の掲示や斉唱の仕方は定めていないとある。

 ところが、都知事石原慎太郎の下、2003年10月23日、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を決定した。
 東京都は学習指導要領はもちろん、『日の丸』『君が代』を強制しないという政府の答弁や文書さえ無視し、内心の自由を侵し、特定の価値観を押しつけていることは一連の卒業式の報道に見られるとおりだ。

 だから、「(指針のやり方を)高校生が納得できないと拒否した場合、個人の自由の問題であり、それ以上の指導はできないはずだ」と再三追及した都議会野党議員に、近藤精一都教育庁指導部長は「指導を積み重ねても起立しないとなれば、やむを得ない」と生徒に強制できないことを認めざるを得なかった。

 ある高校3年生が「卒業式の場で『君が代』を流すと、『歌う』か『歌わない』か、『立つ』か『座る』かの意思表示を大勢の前でしなければならなくなり、個人の意思について表現したくない人まで表現を強制される」と意見をまとめた。
 この意見は憲法で保障される「内心の自由」の本質に深くふれたものだ。

 遠山文科相も、「良心あるいは思想の自由は、憲法上の個人の『内心の自由』として絶対に守られなくてはならない」と答えている。
 法律が強制しないものを学習指導要領で強制できないことを遠山文科相は「学校における国旗・国歌の指導は、学習指導要領に基づき、強制ではない」と答えている。


 内心の自由と宗教者(キリスト者)の表現

 無論、東京都教育委員会も強制はできない。にも関わらず、都立学校の卒業式で、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよなどとする校長の職務命令に違反したとして、都立高校教員ら170人余に、戒告処分や退職後の再雇用合格の取り消しをしたのはやりすぎだ。
 石原都政は、強引に過ぎる。文部科学省の調べでは、卒業式での国旗掲揚率、国歌斉唱率は100%近いという。今、都立学校だけが混乱しているのは、都教委が独自の通達を出し強行したためだ。

 こうした動きに対し、キリスト教界からも、憲法の保障する思想・信条・良心の自由を侵害するものとして抗議の声が起きている。
 キリスト教関係声明文の反対理由に、「日の丸」が太陽神アマテラス(天照)に起源をもち、それへの崇敬の強要は偶像礼拝につながることや、「君が代」は天皇賛美の歌で、神のみに賛美をささげるキリスト者として歌うことがふさわしくない、などの視点がある。

 2001年卒業式・入学式で東京・国立市立小学校のクリスチャンの音楽専科教員が、ピアノ伴奏による「国歌斉唱」の校長方針に対し、かつて天皇を「神」とする考えに基づいて歌われた曲の伴奏は信仰の良心としてできないなどとして忌避したことから、直接キリスト教信仰の自由にかかわる問題として浮上し、全国の教会・キリスト者から伴奏を強制しないようにとの嘆願が学校長あてに多数寄せられた。

 クリスチャン教師らは、「日の丸・君が代」の強制に反対するキリスト者教師・生徒・市民のネットワークを結成して、各地の教育委員会に強制しないよう申し入れをするなど、事態に対応した取り組みをしている。


 真宗者の営み

 「世間虚仮、唯仏是真」(聖徳太子『天寿国繍帳』)、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはこと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまこと」(親鸞聖人『歎異抄』)の言葉を通して、この世俗社会の不真実に気づかされ信心をたまわることが、唯一、真実を拠り所とする念仏者の生き方であることを示す真宗仏教の立場から、日の丸も君が代も、相対的な不実なるものとしていく生き方が原理的には示されよう。

 しかし、宗祖親鸞さま往生の直後から、真俗二諦論的発想や江戸幕藩体制の中で教条化権威化したために差別を温存し、また明治維新以降、体制化し、戦時教学という名で暴力を肯定した恥ずかしい過去を私たちの教団は持っている。
 そして、それはいつもその教えを生きる人の課題だろう。
 世俗を相対化するどころか、世俗そのものとなって行った教団の体質は深いところで保守的な社会のあり方と繋がり、天皇の名に対して「象徴」以上のものを見ているのではないか。
 私が念仏の教えに生きようとする時、何を拠り所にしようとしているのか、身近なことから問わない限り、この問題に対する念仏者の主張は、賛同してくれる仲間は広がりにくいだろう。

本多 靜芳(2004-4-12記)