◆作法
お焼香はご尊前に進み座って行う場合と立って行う場合があります。また焼香盆を手元に廻して行う場合もあります。
お焼香の作法は、まず礼から始まり礼に終わります。卒業式に卒業証書を頂く場合と同じです。 この礼は香にするものではなく仏様に対する礼です。焼香前に合掌礼拝する必要はありません。
お焼香の回数は1回です。他派のように額に「いただく」という作法はありませんのでお香をつまんでそのまま香炉の火にくべます。
お香をくべた後に合掌・持念(「南無阿弥陀仏」の念仏)・礼拝です。そしてスペースがある場合には最後に後ろに下がって一礼します。
合掌・礼拝(らいはい)は、指の延ばして両手を胸の当たりに自然体で合わせます。そして四十五度の角度で状態を前に傾けます。 このとき礼を美しく見せる秘訣は首を必要以上に下げないこと、それとダラリとした動きでなく節度を持って行うことです。
◆ある日のこと
法事で『合掌』と言って、後で青年から「何か歌うのかと思いました」と言われたことがあります。 以前、当たり前であったことがのことが、非日常的な行為として受け止められている。そうした世相の中で、儀式や作法を人に伝えることは、外国の人に作法を伝えるように形式だけに止まれずその行為の持っている意味も伝えなければならない。そんな感慨を持ちます。
まずは合掌・礼拝です。以前、A住職から次のような質問を頂いたことがあります。
ある寺院の法要の時のことです。内陣出勤の段になって、出勤法中から提言があった。 『今日の内陣出勤は、あぐらで座りましょう』。A住職『それは駄目。内陣では正座に決まっている』。『だって、お脇掛けの蓮如上人も親鸞聖人のあぐらをかいて座っている』。A住職『……』。 そして当時、勤式指導員を勤めていた私への質問となりました。これは面白い質問でした。
◆礼拝について
礼拝は礼儀作法です。礼儀の基本は挨拶です。ところがこの挨拶が地域により民族によって多種多様です。 握手や抱擁やキス、あるいはニュージーランドのマオリ族がするような鼻をこすりあわせる動作などもあります。 日本人のするようなおじぎ、インドのヒンドゥー教徒や東南アジアや日本の仏教徒がする合掌、あるいはマオリ族が行う舌を出す挨拶もあります。 西洋人も国王に拝謁する際には,男は頭を下げ,女は片足を引いてひざを軽く折って挨拶するのが作法であると聞きます。
礼は古代からインドの習俗で、仏教とともに日本へ入ってきた尊敬を表わす身相です。 礼拝とは相手を尊び恭しく敬いの意を体で表現する方法で、インドでは九種類(註1)もあるそうです。 一般よく見るのは合掌低頭(ていず)、長跪(ちょうき)合掌、五体投地の三つです。 これを一回すれば一拝、三回すれば三拝、九回すれば九拝となります。 合掌低頭とは両手の掌(たなごころ)を合わせて頭を下げることです。長跪合掌とはお経の中に一番(註2)よく出てくる言葉で跪(ひざ)まづいて合掌することです。五体投地とは更に体を低くして、額、両肘、両膝を地につけておがむことです。
この膝を付けて合掌する長跪合掌が、日本の正座の源流だと思われます。しかし正座はインドに限定されるものではなりません。 古代のエジプト、ギリシア、中国にすでにあり、礼拝中のイスラム教徒の座位も正座に近いことからも知られてます。アラブやイランなどでも日常往々にして正座をするそうです。 日本では畳が江戸時代の元禄・享保のころ普及するにつれて正座も庶民に広がりました。 ただし、この座位を正座というのは日本だけで、朝鮮での正座は一側は日本式正座で他側の膝を立て、アラブなども同じく右膝を立てて座ります。
膝を付けて礼拝するスタイルが、合掌・礼拝の元にあり、畳の普及などによって正座が寺院における礼拝の時の座位として定着したようです。またこの座位がもっとも安定したスタイルでもあります。
ついでに先の親鸞聖人のご絵像のあぐらですが、日本の男子の用いるあぐらはもと高貴な人の座位で,胡床と呼ぶ床几(しようぎ・折り畳み式の腰掛け)に“足組(あぐ)み”して座ったことに由来します。 柿本人麻呂が歌を詠む際にとった歌膝は一側が胡坐で他側は立膝の姿勢でした。あぐらと片立膝は中世の絵巻に多数描かれ、当時はむしろこれらが一般的でした。
こうした歴史をふまえて合掌・礼拝を考えるとき、形式はもっと自由に、その地域性にあった礼拝のスタイルで阿弥陀仏を礼拝することも可能です。 この合掌・礼拝のスタイルで神を拝み、ご利益を祈願し、諸仏を礼拝しているのですから、作法と宗教の本質とは直結していないことをふまえて、礼儀作法を考えるべきものです。
◆焼香について
次に焼香です。過日、「浄土真宗ではお香をなぜ頂かないのか」と聞かれました。「なぜするのか」という質問が多い中、「なぜしないのか」はこれも面白い質問です。
浄土真宗本願寺派の焼香の作法は、香を一回つまんで、押し頂かづに、そのまま香炉にくべます。この押し頂かないのはなぜかという問いです。
浄土真宗では、東西ともにお焼香の折りお香を頂きません。しかしその他のことでは頂く場合があります。 それは経本を開いたり袈裟類を着用する場合です。共に頂いてから身に添えます。 ところがお焼香や花、仏飯類は頂かずに供えます。他宗の方が、なぜ香を頂くのかと言えば、心をこめるのです。真心を込めてお供えするのです。ところが浄土真宗は、私の心は汚染されているとの自覚から心を込めることをしません。
袈裟や経本は、仏の側に所属する類のものです。だから頂きます。本尊を奉るとき、仏をいただいて奉ります。これは心を込めるのではなく、尊敬の念から頂きます。
さてお焼香です。本願寺派の焼香の作法が「頂かずに一回」とされています。これも余りこだわる必要がないというのが私の意見です。 本願寺派において焼香は一回と明記されたのは、昭和37年(?)の仏教婦人会総連盟発行の『仏教婦人聖典』からだと、蔵田了然師から聞きました。 実際、それ以前の勤式作法のテキスト(註3)には、一回という数の指定はありません。 しかし作法というものは、一つの団体の結束を示し、行為を美しく保つという意味があるので、焼香は一回と明記されていれば、大勢の人のいる前では、規範に随って行うべきでしょう。 お伝えしたいのは、それだけの意味しかないというものです。だから私は一人でお焼香するときは、香質によって、数に無関係に楽しんでお焼香しています。
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(註1)
礼拝[らいはい]
@ 合掌しておがむこと。恭敬・信順の心をもって敬礼すること。『西域記』(二巻)には、礼拝の種類として、発言慰問・俯首示敬・挙手高揖・合掌平拱・屈膝・長跪・手膝踞地・五輪倶屈・五体投地の九種類があげられている。そのうち、五体投地とは、身体を地に伏せ、両手両足を地にのべ、頭を地につけて敬礼する最高の敬礼法である。
A 浄土教などで、身業により恭敬を示すこと。上品の礼拝は五体投地、中品の礼拝は長跪合掌、下品の礼拝は坐して合掌低頭する。
『佛教語大辞典』東京書籍 より
(註2)
仏説無量寿経
阿難、仏の聖旨を承けてすなはち座より起ちて、ひとへに右の肩を袒ぎ、長跪合掌して、仏にまうしてまうさく、今日世尊、諸根悦予し、姿色清浄に…
右に繞ること三匝して、長跪合掌して、頌をもつて讃めてまうさく、〈光顔巍々として、威神極まりなし。かくのごときの焔明、ともに等しき…
仏説観無量寿経
みづから己身を見れば蓮華の台に坐せり。長跪合掌して仏のために礼をなす。
(註3)
浄土真宗本願寺派「勤式作法の書」弘中純道著(永田文昌堂昭和27年2月初刊)
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西原祐治 |
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