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 04.09.16 



平和は普通?
『対人地雷・不発弾被害者青年セミナー』
に参加して


  平和は普通?

  過日、NPO法人「難民を助ける会」が主催する、『対人地雷・不発弾被害者青年セミナー』に参加してきました。
  アフガニスタン、ラオス、アンゴラから地雷・不発弾による被害者の方々が来日して下さり、被害の現状を学ぶと同時に国際交流を深めることが目的でした。
  以前に参加した「報告会」などとは違って、青年セミナーだけに高校生や大学生の参加が目立ち、積極的な思いあふれる一日でした。


  現地の被害状況やNPOなどの活動を学び、被害者の方々が日頃どのような生活を送っているのかを本人から聞かせてもらえる貴重な機会でしたが、それ以上に被害者の方々と交流できることが今回のセミナーの大きなポイントでした。
  私は「アフガニスタン」グループに班分けされ、ナデル・シャーさん(17歳・男性)と一緒になりました。彼は不発弾によって右目を失明、そして両腕を切断という被害にあった方です。


  あらかじめ会で用意された質問事項を被害者に尋ねると同時に、その質問に対してどんな答えが返ってくるのかを、自分が被害者になったつもりで考え、発表し、意見交換をする、というワークショップ形式でした。
  その質問の中で、「地雷・不発弾被害にあってしまったことについて、何に対して最も怒りを感じますか?」という問いがありました。私たち参加者は大きく3つの意見に集約されましたが、それは@地雷を埋めた人・作った人A戦争や争いB戦争を引き起こした国の指導者や裏で手を引く大国、といったものでした。


  この問いに対するナデル君の答えは@。「その人が埋めなければ、放置しなければ被害に遇わなかったのに…」との答えでした。
それならば、「そんな風にしなければならない『戦争』というものは憎いと思わなかったですか?」との私たちの問いに彼は驚くひと言を返したのです。
  『僕は生まれてからずっと戦争の中にいました。僕にとってはそれが普通の生活なのです』この答えを聞き、私は本当に驚くやら、深い悲しみに沈みました。
  私は、「平和」という世の中を普通と感じながら今日までを生かされてきました。しかし彼のように「平和」ということを知らずに今を生きている人たちもたくさんいるのです。自分のしあわせを再認識すると同時に、平和を感じる人で溢れる地球を深く深く願いました。
  彼は続けてくれました。「昨年日本に来て、『平和』ということを初めて知りました。みんなが親切に迎えてくれて、戦争のない国。こんな日本のような国が世界中に広がることを希望しています」


  「平和ボケ」という言葉を聞きます。平穏な日々に安穏と暮らしていること、という意味なのでしょうか。
  私は今回のナデル君の言葉から全く逆の意味を知らされました。
  「平和ボケ」とは、自分の周りの平和やしあわせに気付くことができずに、争いや殺し合いといった刹那的瞬間を感じさせるものに憧れること、そんな意味なのかもしれないと。
  人間は失って初めて気付くことが多い、とよく言われます。しかし失う前にその大切さを教えてくれる縁はそこここにあるように思います。
  今回のナデル君との出会いは本当に大きな気付きを私に届けてくれました。


  ナデル君は「アフガニスタンに行きたい」という僕の言葉に嬉しそうに応えてくれました。「是非来て下さい。被害の現状を見てもらうのも大切ですが、アフガニスタンの緑豊かな自然を見て下さい。感じて下さい。そしてアフガニスタンを好きになって下さい」と。


  最後の茶話会では、各国のお茶やコーヒーとお菓子に舌鼓を打たせてもらいました。驚くほどの素朴なおいしさでした。私の知らない世界はまだまだ広そうです。歩みを止めてはいけないのです。


遠山 章信