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 04.12.01 


「正座か椅子か」



   最近、椅子式の法要形式が話題になっていますが、「僧侶のくせに」正座が大の苦手な私なりに、「正座か椅子か」の問題について考えてみたいと思います。

 以前、同年代の友人に「お寺のイメージとは?」と尋ねると「正座させられて痛い場所」と答えられた事があります。仏教の教えと出遇い日常的に親しんでいただくはずのお寺が、「痛い」場所のイメージとはなんだか寂しい感じがします。一方で毎月お参りさせていただいているお婆さんは、正座してる方が椅子に座るより楽で落ち着くといわれます。この意見の相違は正座という文化が日常的かどうかという問題なのかもしれません。伝統にこだわるのも大切ですが、このままだと若い世代には、お寺は非日常の空間になってしまう可能性がありますよね。

 また、最近、私の近隣では僧侶方が高齢化を迎え、年齢と共に足が悪くなられたということで、9割方のお寺で僧侶も椅子に座る形の法要になってきました。そしてその弊害でしょうか、正座での法要を守り続けているお寺での法要は時間が短くなってきました。これは法要自体の内容は変わってないのですが、出勤されている僧侶方が正座の痛みをこらえているうちに、知らず知らずのうちにお経を読むスピードがあがってしまってのことらしいです。情けない話ですが現実の話です。

 僧侶だから正座ができて当たり前というご指摘もあろうかと思いますが、ここはあえて書かせていただきますと、やせ我慢してるうちに大切なことを見落としてはいけないということです。伝統的な正座の法要を守る事も大切です。しかし、法要に参加している僧侶がみんな痛みにこらえ背中を丸めてしまう法要は見れたものではありません。法要とはやせ我慢大会ではなく仏さまのお徳を讃える為にあるはずなのですから。正座の文化と椅子の文化の両方があるということを受けとめ、僧侶も恥ずかしがらずに、椅子の文化に適したもう一つの法要の形態を模索しなければならない時期にさしかかっているのかもしれません。

 最後に何故正座での法要が定着したのかをもう一度考えてみると、諸説はあるでしょうが、正座とは「姿勢を正した座り方」だったのしょう。つまり本来は、心も体も真っ直ぐに仏さまと向き合うのに適した座り方だったからだと思われます。ただの自己弁護で諸先輩方に怒られるかもしれませんがれませんが、座り方や足のしびればかりを気にするよりも、そのことを大切にしたいと思う今日この頃です。

                              岩佐准光