仏教には末法思想という考え方があります。お釈迦さまが涅槃にはいられた後、500年は、教えとそれを行ずる人々と覚る人々が共存する時代であり、次の500年ないし1000年は、教えとそれを行ずる人々がいる時代、そしてその後は教えのみが残り、行ずる人も覚る人もいない時代が来る。それが「末法」である、という時代のとらえ方です。
日本では平安時代に末法の時代に入ったという時代の雰囲気が生れました。当時の人々にとって、戦乱や自然災害それに伴う飢餓、そしてなによりも人心の荒廃に対する危機感が、まさに末法を実感させるに足るものであったのだと思います。その中で鎌倉仏教が生れます。わずかに残された「教え」に関心が強く向いたと言うことだと思います。
先日、プロ教師の会代表の諏訪哲二さんの講演を聞く機会がありました。諏訪さんは、戦後60年を経て子どもたちの様子が大きく変わってしまったことに、強い危機感を感じておられました。1980年代から子どもたちの中に、従来にない子どもたちが出てきた。それは、対話が成り立たない子どもたちで、それまでの不良少年たちとまったく異なる種類の子どもたちだった。それは1975年頃が境目で、学校の教師の権威が下りはじめて現れてきた現象とのことでありました。
その現象は個性の強調から来る、本当の自分を見つけようとする自分探しがもてはやされたのと期を一にしており、経験がない上に反抗するものもない環境のもとで、子どもたちは自我を確立しなければならない困難に直面してしまったのだ、と諏訪さんは分析されています。社会的に通用する人間になってから個性化を図るべきなのに、未熟なままで好き勝手な自由が与えられ、自分を変えていく努力が必要なくなってしまった。それが、いきなり切れる少年を生み、ニートとか引きこもりなど、自我が確立する前に壊れてしまう若者を生み出したと指摘されています。
そこで、諏訪さんは、社会により強い宗教性を求めておられました。個人の中に普遍的な裏付けがなければ本当の自分を探すことなどできないということです。本願他力や絶対的神など自己を実現する目標がなければ、ほとんどの子どもたちが自分探しの中で路頭に迷うことになるということです。
その現実に気づいた時、鎌倉時代は仏法に心が向きました。より心を重視する方向に振り子が振れました。しかし、世界を見渡すと偏狭なナショナリズムの方向に振り子が振れないとも限りません。末法思想には、今私たちが何をしなければならないのかのヒントが込められているということをあらためて知らされました。
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小林 泰善 |
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