交通事故の年間死亡者の数が減って良かったと思う人も、その中に、たった一人でも知り合いがいると良かったとは言えなくなります。
広島・長崎に投下された原爆によって数万の米兵のいのちが救われ、戦争終結が早まったという論理が今でもあるようです。 しかしそこには、一人ひとりのいのちのかけがえのなさが、単なる数値に置き換えられ、悲しみや迷いがそれとは別の大義名分のもとにごまかされています。
またいのちを単なる数や効率で考えたとしても、いのちを犠牲にしてまで何故、戦争そのものを始めなければならないかという問題が曖昧なままです。 そして、そのままならば、国家のためという思いこみのもとにいのちが暴力を肯定したまま消費されています。
こうして戦争という暴力による問題解決は、国家のための名誉の戦死という美名の陰に、先のように親しいものを喪い、決して喜ぶことの出来ないいのちの営みが残ります。
国家を絶対だと思いこむことが出来る人、あるいはそのように思いこまされている人にとっては名誉の戦死でしょう。 しかし、そのような思いこみが出来ない人、あるいは、そうした思いこみこそ人間の迷信であると目覚めた人にとって戦死は国家による殺人であると受けとめるのは当然でしょう。(近代国家の多くが今も死刑と交戦権という形で殺人を正当化しています)
つまり、争いと差別が最も先鋭化するのが国家を絶対化する戦争であり、その結果、いのちが殺されます。 釈尊は、「いのちあるものは皆、暴力を恐れる。己が身に引き比べて、殺してはならない、殺させてはならない」と説かれました。しかしながら、歴史の中で戦争と人権侵害の無かった時代はありません。
05年8月12日の新聞紙上で大谷派がかつての15年戦争において仏教や親鸞さまの教学をねじまげ、戦争協力をした資料が公開報道されました。 無論、これは本願寺派においても同様で、教団をあげて親鸞さまの神祇不拝(外道の神を拝まない)の教えに背いて現人神天皇や神社などに拝跪し、聖戦の名の下に戦勝祈願をし、鬼畜米英として人殺しを勧めました。
その時、自分たちの正当性を主張することで相手国の戦闘員・非戦闘員を殺戮するだけでなく、自国民の戦闘員・非戦闘員をも道具として殺戮したのです。 国家を絶対化する教学の理解は大きな過ちと悲しみをもたらすことを忘れてはならないでしょう。
本願寺派安芸教区の「非戦・平和を願って60年」というスローガンのもと、8月5日、午後5時から広島別院で秋津智承氏(安芸教区願船坊衆徒)らのチェロコンサートと平和学習が開催され、平和記念公園の原爆供養塔前で原爆追悼逮夜法要と法話が営まれ、戦争ではなく平和な問題解決をアピールしました。
ところが、「親鸞聖人の教えは平和の為にあるのではない、親鸞聖人の教えが伝わって始めて平和になる」という理解があります。 確かに親鸞さまの教えは平和という社会の諸科学が課題にする問題解決のために手段・道具として利用されるものではありません。もしそうなら、役に立たなければ廃棄されることになります。
しかし、社会諸科学と宗教の関係を、「教えが伝わって始めて平和になる」という主張では元々無関係な両者が別々にあるかのように想定されてしまっています。
あらゆるものは関係の上に成り立っていると説くのが仏教の根本教説です。親子とは同時存在であり、拍手は片手だけでは音にならないような関係です。 親鸞さまの教えもまた、常に人間として生きる場、つまり娑婆の中でのみ、念仏を申す生き方が出来ると説きます。娑婆を離れて念仏を称える場はありません。
念仏申すこと、つまり阿弥陀如来の本願を生きることを阻害する社会のあり方、あるいはそれを見届ける諸科学との関係なしに念仏申す生き方は成り立たないでしょう。
親鸞さまは、称名念仏する日々の行道の上に、真実信心が開発され、慚愧と感謝の生活が恵まれることを示されています。 この念仏生活のみが、自ら目覚め救われる行道であり、それがまた世々生々の父母兄弟を救い、敵味方の恩讐を超えて戦没者をも仏として拝める道です。
国家という相対的なものを単に否定解体するのでなく、それを超えた如来真実を通して、じっくりと社会諸科学と同時成立する念仏の教えを今、私は生きているという確かめが大切でしょう。 そして、単なる慰霊でも、ましてや戦争正当化でもなく、自らの迷妄性を相対化する如来真実の行道を今、私が証明していくのです。
靖国問題も、自衛隊海外派遣も、憲法変更問題も、真宗門徒にとって念仏を申す私の生き方との関係にあるのだということを広島原爆忌に参詣のご縁を頂き、改めて考えたことでした。
|
本多 静芳 |
|
|