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 05.10.16 


9月30日、大阪高裁、首相の靖国参拝に
違憲の判決について


  01年〜03年に3度にもわたる小泉純一郎首相の靖国神社参拝により、精神的苦痛を受けた真宗門徒、台湾人など188人が、国と首相と靖国神社を被告として訴え、1人あたり1万円の損害賠償を求めた控訴審判決が9月30日、大阪高裁で言い渡されました。


  大谷正治裁判長は、参拝が首相の職務(つまり公務)として行われたとし、「国内外の強い批判にもかかわらず、参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長している」と問題点を指摘し、憲法20条3が禁じている宗教的活動にあたると認めました。しかし、個人の信教の自由などの権利が侵害されたとは言えないということで、原告らの控訴を棄却しました。
 原告の訴えが通らなかったので、最高裁へ控訴(上告)することもできますが、上告しなければ憲法判断に踏み込んだ判決が決定され、いわゆる確定判決となります。


 さて念仏者は、親鸞さまの教えを通してこの判決をどのように見ているのでしょうか?


 靖国公式参拝問題は、日本人の意識調査によると「やめた方がいいと考えている人」が大半です。しかし、その理由はアジア諸国の外交上の問題や、A級戦犯などであって、特定の宗教施設だから問題だと指摘する人びとはわずかです。
 日本人が普段、宗教を意識しないで暮らしているので靖国神社が特定の宗教だということを気にしないため、首相が特定の宗教施設に参拝していることを見過ごしています。


 憲法は国民が正当な人権を国家によって損なわれないように、国家から国民をまもるために作られたものです。その第99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と明記されています。
 考えると国会議員を辞めずに、憲法を変えようとするのは矛盾した話です。また、そんな議員が当選するのも、先の宗教問題と同様に、国民も曖昧な態度だからでしょうか。


 また憲法は、多数決の論理で少数者への権利侵害がされることを危惧されたものです。戦前、国家神道に反するものを「それでもお前日本人か」などと切り捨てられたので、国と国家神道の関係を反省して信教の自由と政教分離の原則がうち立てられたのです。


 首相の靖国参拝で、憲法20条にある信教の自由を犯され、政教分離の原則が破られることが、念仏者として危惧されます。それは神社に象徴されるような、日本の自然発生的な宗教とは違う宗教性を自覚的に生きようとする人びとにとって、憲法違反の首相参拝により靖国や神社を参拝することが、日本に生きる人に押しつけ強制される社会となってしまうことは、宗教的な少数者にとって大変生きにくいことだからです。
 念仏に生きようとする人にとって、当然、首相の靖国参拝は見過ごすことができないので、原告に真宗者をはじめとする宗教に自覚的に生きる人びとが入っているわけです。


   ところで真宗教団をはじめ、仏教教団は首相などの公式参拝に反対意見を述べてきましたが、外交問題としての視点が先に論じられ、宗教者にとって一番大切な憲法違反をしている宗教問題を強く論じてこなかったことは大きな落ち度でした。これからは、この視点を強く主張すべきだと思います。


 実際の靖国訴訟は、外交問題が主たる問題ではなく、皆、憲法の掲げる宗教問題が訴えられています。現首相の靖国訴訟は6地裁と2高裁で計9件言い渡され、04年4月の福岡地裁が違憲判断で、高裁レベルでの違憲判断は今回が初めてでした。中曽根元首相の靖国参拝に大阪高裁が違憲の疑いがあると判決を出しています。
(参考:関連靖国訴訟では、岩手靖国住民訴訟(91仙台高裁)で違憲確定、中曽根公式参拝九州違憲訴訟(92福岡高裁)で継続すれば違憲確定、中曽根公式参拝関西違憲訴訟(92大阪高裁)では違憲の強い疑いと確定されています。)


 違憲の判決が出ていないものもありますが、注目すべきは一つも首相の靖国公式参拝は合憲という判決はでていないことです(高橋哲哉『靖国神社』ちくま書房)。前日29日、東京高裁は憲法判断に踏み込みませんでしたが、一回も司法の場で、憲法に合っているという判決はないのです。


 今回の判決によると首相が01〜03年に公式参拝を宣言した時期、靖国神社のHPへのアクセス数が上昇したり実際の参拝数が増えていることと、首相が同神社へ参拝していることは明確な因果関係があり、同裁判官は「国と靖国神社の間にのみ意識的に特別にかかわり合いを持ち、一般人に国が靖国神社を特別に支援している印象を与えた」という理由を述べています。


 念仏を称え、他の神仏を拝まないという理由で、法然さまや親鸞さまは流罪になり、四人のお坊様が首をはねられました。国は、暴力をもって支配しようとするからこそ、近代社会では憲法による国家の統制が必要になりました。


 ところで、靖国参拝が注目される今、自民党内では何と憲法改変問題と合わせて政教分離規定の緩和を目指す動きが広がっています。つまり首相などの靖国参拝を合憲化する狙いです。二度目の違憲判断を受け、こんな危険な議論がさらに加速する可能性があります。

 「参拝は儀礼的行為であり、違憲判断はおかしい」と自民党幹部は30日に語り、判決への不満を示しました。また、自民党新憲法起草委員会が8月に発表した憲法改正草案(原案)は、憲法20条3の政教分離規定を改悪し、「社会的儀礼の範囲内」であれば国の宗教的活動を認めるという恐ろしい内容です。参拝を社会的儀礼にあたるととらえることで、この靖国参拝の違憲性を回避して憲法論争に決着をつけようという狙いがあります。

 同起草委幹部は「党内には参拝自粛を求める声があるが、中国などへの政治的配慮から来るもので、憲法上は合憲だという意見が多いはずだ。しかし、裁判のたびに判断が分かれる憲法ならば、改正してすっきりさせたほうがいい」といいます。問題点として外交をちらつかせ、その内実は宗教という人間の内面の自由を奪う方向性が主張されます。自民党の衆院選大勝で、改憲論議が活発化し、政教分離規定の改悪の動きがあることを念仏者としてしっかりと見つめていきたいと思います。

 憲法を変えればいいという彼らの発想には、自分たちは国会議員であるにもかかわらず憲法(第99条)を破っているという認識がないと言わねばなりません。
 今、念仏者の中から、念仏の生き方を護ってくれる今の憲法が私は大好きだという主張が展開しています。靖国問題と軌を一にする念仏の視点から生まれた会で、「念仏者九条の会」という名前で発足しています。是非、HPのサイトをご覧ください。

http://www.eonet.ne.jp/~9jou-nenbutsusha/index.html

 本多 靜芳